わたしの顔は父親にそっくりだ。
顔が似ているということは、骨格も似ているのだろう。
音痴の原因はそこにあったか。


母校の幼稚園では、何故か音楽教室も開かれていた。
今にして思えば、運営会社が園舎を借りて放課後(?)引き続き音楽教室を開催していたのだろう。
ここでもわたしは、40数年を経ても忘れるに忘れられない歌と出会っている。

「わたしはやぶいしゃ」
わたしはやぶいしゃ ビリビリビッケンブン
なんでもすぐなおす ビリビリビッケンブン

後年「藪医者」の意味を知ったとき、わたしは大きな衝撃を受けた。

意味違うじゃん。

歌詞はこの後、頭の中身だけは治せない、と続く。
頭を良くしたいと思ったら、他人に頼らず自分で努力しなさい、という教訓だったのだろうか。
いたいけな幼児が合唱しているさまを想像すると、ほんとうにいたいけ。

音楽教室に入れてもらったものの、音楽の才がめばえることはなかった。
地元の同級生のうちピアノを習っている子は数人しかいないという時代で、わたしもピアノを習いたいな、と思ったものの、母の判断で習わせてはもらえなかった。
習ったところで、たぶんまともに弾けるようにはならなかっただろう。母ナイス。

あまり関係ないが、当時使用していたお弁当箱を、わたしは今も使っている。
蓋に「ひょっこりひょうたん島」のサンデー先生・マシンガンダンディ・ライオンのイラストが描かれた、アルミのお弁当箱だ。
昔の物は長持ちしますな。

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