ツイッターというものが、よく解らない

現代人の必携アイテム、ツイッター。
掲示板とかチャットルームとかと、どう違うの?
ひっきりなしに見ていないと、まずいの?
ガラケーでもできるの?
疑問は尽きない。
その上、「リツイート」だの「タイムライン」だの知らない言葉が次々と出て来るに至り、どうもわたしには解らないツールだと結論付けてしまった。
ああ、英語は得意だった筈なのに。「Y2K」の意味が解らなかった苦い思い出が蘇る。ああ無念。

日常で会話を弾ませることが苦手なわたしであるが、せっかく発言するならウケたい。
職場の会話などでも、珠玉のエピソードを繰り出すべく、人知れず葛藤が尽きないわたくしである。
ツイッターなどというもので、会話を弾ませることができるのか。瞬発力が要りそうだ。
相手をしてくれる人が存在するのか。
独り言では日記だ。日記にしてはせわしない。

『中の人などいない @NHK広報のツイートはなぜユルい?』NHK_PR1号著 新潮社 2012
この本で著者は、広報のツイッターで目指すのは情報の発信よりむしろ、情報の受信だと綴る。ツイッターの仲間を信じ、会話を重ねることでNHKを知ってもらうのが、広報の役割であると。
広報とは広聴である、ということか。
そして、公共放送であるNHKとは、「あなたのNHK」ではなく「あなたがNHK」である、つまり、あなたこそが「中の人」なのだ、と綴る。
サービス業は、サービスする人とされる人に分かれ、する人がサービスの主体と思いがちだが、サービスの当事者であるのはむしろ、される人である。される人の思いに立ったサービスを供給するのが、サービスする人の役割だ。

ユーモラスな筆致で読みやすいが、業務に対する真摯な姿勢も伝わる。

なるほど、ツイッターは面前にいない人ともそこにいるかのように会話できるもの、という基本は理解できた。押さえたぞ。

遠い遠いツイッターが、隣の県くらいに近くなりました。




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