円城 一応、語り手は切り替えさせてもらいました。
大森 ワトソンではない。
円城 ワトソンは出てくるんですけど、しゃべる人、ナレーターは違う人です。
出典「グッジョブ!芥川賞 受賞作家、円城塔と語る」(『文学賞メッタ斬り!ファイナル』大森望、豊崎由美 PARCO出版 2012)より
※豊崎氏の「崎」のつくりは「竒」


語り手・・・。なるほど!

伊藤計劃×円城塔 『屍者の帝国』 河出書房新社 2012

SFは難しいと思う。

SFというと、「こうなるかもしれない未来」を描いているものが多いとわたしなどは思いがちだが、この小説の舞台は1878年、「あったかもしれない過去」を描いている。
そして舞台は、イギリスからインド、アフガニスタン、日本、合衆国と、さまざまに遷移する。
そのため、実在した人物が登場するし、フィクションの人物も、小説オリジナルではない、他の物語で描かれた人物が多数登場する。

大作である。
伊藤計劃がのこしたプロットから物語を紡いでいった円城塔は、すごい書き手だと思う。
自分とおんなじ人間とは思えん。
ちゃんと読み下せたか、自信がない。

この物語の世界では、亡くなった人に、死去により失われた「霊素」に代わる「疑似霊素」を書き込むことで、肉体の働きを再生し、労働力として生かしている。
再生されるのは体の動きのみで、考えたり、喋ったりはできない。

小説内では、人間以外の動物では、この再生を成功していない、とされている。
ふつう、人体より先に動物実験をしそうなのにな、と思い読み進めると、理由が記されていた。

それは、動物には魂がないから。

後半、この定説にある反論が掲げられる。

動物実験しそう、なんてわたしも冷淡な奴だ、と我ながら思った。

小説というのは、書き手の世界観をあらわしたものだと思う。
自分が今いる世界をつづったり、こうであってほしいと願う世界をつづったり、
または、こうなっては嫌だという世界をつづる。
たとえ狭い社会を描いた物語だとしても、世界と地続きであることに変わりはなく、それは読み手ともつながっている。

この物語は、なかった過去を描いている。
そうであっても、わたしの今や未来とかかわりがないとは言えない。


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