誰かがくるのをまっている
別役実・作、佐野剛・演出、兵庫県立ピッコロ劇団『不条理・四谷怪談』(座・高円寺2)

作中の伊右衛門は、釣りにおいては誠実な男である。
賽の河原ぎりぎりにいて、なお、誠実に釣り糸を垂れる。

伊右衛門は不誠実な男であって、妻を不幸に追い込む。
策は甘く、なんだかわからないうちに殺人を重ねる。
自分が殺した人たちに追い込まれ、自滅する。
自滅の際にあって伊右衛門がこだわったことは、自分が正気のまま果てたかどうか。
浪士の山鹿流陣太鼓に送られるように、こときれる。

「東海道四谷怪談」と赤穂浪士の討ち入りという、よく知られたふたつの話を綯い交ぜにして書かれた戯曲。

「赤穂義士は、本当に全員討ち入りに参加したかったのだろうか?
そうしなければいけない空気があって、やむをえず参加した人間がいたのではないか?」
「「討ち入り」イコール「イベント主義の理想」というのが本当は場当たり的で「狂気」なのではないか?」
(公演リーフレット掲載 作者の言葉より)

マスの声に翻弄され慌てふためき、後になってみて、マスがなんだか判らない時がある。

演じたピッコロ劇団は、県立の劇団だそうである。

別役作品を前回見てから、少なくとも25年は経っている。
もともとは、朝日ジャーナルの「犯罪季評」くらいしか読んでいなかった。
その後、三一書房から出ていた戯曲集を、図書館で借りて読んでみた。

大学生の時、『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』を見た(1987年10月、パルコスペースパート3)。
演劇集団円の中村伸郎と文学座の三津田健の共演とあって、たいへん話題になった公演だった。

いまにも朽ちてしまいそうな騎士が二人、殺しあうのか、誰かに殺されるのか。
と思えば、二人をのこして、他の登場人物はどんどん死んで行ってしまう。

二人はじっと、誰かが来るのを待つ。
自分たちを殺そうとする相手が、来るのか来ないのか判らない相手が来るのをじっと待つ。

伊右衛門も、いるのかいないのか判らない者が来るのを待っていた。

柳の木が、電信柱の代わりだったのかな。

参考文献 「新劇」1987年11月号




コメント