新聞を読んでいる間、ずーっと歌っていた


病状の悪化が伝えられていたマンデラ氏が亡くなった。

高校三年生になったばかりの4月に、イギリスでヒットした曲。
Special A.K.A. "Nelson Mandela" (1984)
イギリスは音楽マーケットがちいさいためか、若い人に支持される曲がチャートの上位に入っていた。
スペシャルズやUB40が流行っていると聞くと、イギリスでスカやレゲエが人気あるのはなぜだろうと思ってみたり。
たまにフットボールチームの応援歌がチャートインしたりもした。
いまはどうなんだろう。

アフリカ大陸を、各々の国を単位に考えたことがなかった。
ネルソン・マンデーラって?
スカのリズムにのって、軽快に、「ネルソン・マンデーラに自由を」と歌っていた。

写真で見るネルソン・マンデラは、アフリカ・バンバータみたいな偉丈夫だった。
ファンクの親玉みたいな印象。
あんまり目つきがいいとは言えない写真だった。

翌85年には、あるプロテストソングがリリースされた。
Artists United Against Apartheid "Sun City" (1985)
ブルース・スプリングスティーンのE.ストリート・バンドにいたリトル・マイアミ・スティーヴンが中心となって作られた曲だ。

サン・シティは南アフリカ共和国にある保養地で、政策として人種隔離を行っている現地では当然白人専用。その施設に欧米から呼ばれて演奏する音楽家に対する反感から作られたと聞いた。

「絶対にサン・シティなんかで演奏しない」

ミュージック・ヴィデオでは冒頭、のんきな音楽にのせて、「すてきなエンターテイナーに癒される」とサン・シティの紹介VTRが流れるや、いきなり発砲と逃げ惑う人たち。
そしてマイルス・デイヴィスのソロ。
ラップやサンプリングを使った、所謂とんがった音楽だが、驚くほど多岐に渡る音楽家が参加している。

同じ演奏家という立場で、サン・シティで演奏する音楽家がいるのが許せない、という怒りがある。

「世界に平和を」「飢えをなくそう」という他へ対するメッセージではない。

「お前なにしてんだよ」
という、音楽界の内に対する怒り。

長い服役から釈放されたマンデラは、写真で見たのとはずいぶん違って、鶴のように痩せた老人だった。

今の若い人に、アパルトヘイトと言っても、あんまりピンとこないかも知れないな。

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