いかなるパラスのおはたらきか
2014年4月3日 日常エラスムス著 沓掛良彦訳 『痴愚神礼讃 ラテン語原典訳』
を購入。
「痴愚信頼さん」と変換されちゃったよ。
最近あまりにも本を読まないので、およそ読み切れそうもない本を買って、読んだ気になろう、と不純な動機で購入した。
このところ身の回りに起きる納得しかねる事象を、
「いつの時代も変わらないのね…」
と遠い目で眺めたかったのかも知れない。
そういう話ではないのかも知れないが。
というか、書籍の内容は殆ど知らないまま購入。
強要されることも強要することも、本意ではないのだ。
たとえ挨拶ひとつでも。
まあ、それはさておき、読めるかしらん。
しかし、訳者による「まえがき」を読んで、俄然興味がわく。
『痴愚神礼讃』の日本語訳はその多くが、原典ではなくフランス語訳を日本語に訳したもので、名文というべき翻訳もあるが、いずれも原典からの乖離が見られる。
が、2005年に出版された翻訳は、当時本邦唯一の原典からの翻訳版でありながら、乖離どころか見過ごすことなど到底できないほどの誤りがあんまりにも多くありすぎて、「大問題」である。
それについては、「訳者あとがき」に詳しい。
とのこと。
本文より先に、「訳者あとがき」を読みたくなるじゃないですか。
『痴愚神礼讃』愛、エラスムス愛にあふれる沓掛氏、一日も早い正確な原典訳出を願っていたものの、待つばかりでは誤った訳が定着してしまうという危惧から、専門家というわけでは決してないそうだが、原典を翻訳しようという気持ちを押しとどめることができなかった、という。
うつくしい。
訳者、1941年のお生まれだそうだ。
わたしも沓掛氏にとってのエラスムス、というようなものに、出会いたいものである。
を購入。
「痴愚信頼さん」と変換されちゃったよ。
最近あまりにも本を読まないので、およそ読み切れそうもない本を買って、読んだ気になろう、と不純な動機で購入した。
このところ身の回りに起きる納得しかねる事象を、
「いつの時代も変わらないのね…」
と遠い目で眺めたかったのかも知れない。
そういう話ではないのかも知れないが。
というか、書籍の内容は殆ど知らないまま購入。
強要されることも強要することも、本意ではないのだ。
たとえ挨拶ひとつでも。
まあ、それはさておき、読めるかしらん。
しかし、訳者による「まえがき」を読んで、俄然興味がわく。
『痴愚神礼讃』の日本語訳はその多くが、原典ではなくフランス語訳を日本語に訳したもので、名文というべき翻訳もあるが、いずれも原典からの乖離が見られる。
が、2005年に出版された翻訳は、当時本邦唯一の原典からの翻訳版でありながら、乖離どころか見過ごすことなど到底できないほどの誤りがあんまりにも多くありすぎて、「大問題」である。
それについては、「訳者あとがき」に詳しい。
とのこと。
本文より先に、「訳者あとがき」を読みたくなるじゃないですか。
『痴愚神礼讃』愛、エラスムス愛にあふれる沓掛氏、一日も早い正確な原典訳出を願っていたものの、待つばかりでは誤った訳が定着してしまうという危惧から、専門家というわけでは決してないそうだが、原典を翻訳しようという気持ちを押しとどめることができなかった、という。
うつくしい。
訳者、1941年のお生まれだそうだ。
わたしも沓掛氏にとってのエラスムス、というようなものに、出会いたいものである。
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