そして舞台に一本の木
2014年4月19日 演劇
劇団東京乾電池本公演
別役実作、柄本明演出
「そして誰もいなくなった~ゴドーを待つ十人のインディアン~」
下北沢 本多劇場
日刊スポーツの記者コラムを見て知った公演。
別役作品ですと。
なんとなんと。
これは行かねば。
急遽チケットを手配。
演劇の本丸、本多劇場に初めて乗り込んだ。
なんか、王道っつう感じだ。
東京乾電池と言えば、個人的には「笑ってる場合ですよ!」に尽きる。
ニュースステーションの「金曜チェック」と並んで、小劇団的なものをわたしに知らしめてくれたものだ。
なんだ、小劇団的なものって。
1980年当時のわたしの小劇団観、それは、「生活費にゆとりがないにもかかわらず、人を笑わそうとしている奇特な人たち」という大変失礼なものだったことを思い出す。
上演作品は、タイトル通り、「ゴドーを待ちながら」+「そして誰もいなくなった」。
チラシによれば、そこにモンティ・パイソン的ななにかも加わるとのこと。
お茶会に集められた人々と召使夫婦。主催者のゴドーを待ちながら、なんやかやでひとりずつ死んでいく。
不条理劇を解っているとはまったく言えないが、不条理さが醸す可笑しさや哀しみがあるわけで、それをさらに喜劇として面白くしようとすると、喜劇としての面白さが勝ってしまうのかな、という気がした。
でもやっぱり、生身の役者さんのリズミカルな動きは魅力的だ。
綾田俊樹はすっかり好々爺だなあ。
柄本明が、「今日はたくさんお客さんが来てくれたが、日程の最初のほうはこんなではなかった」「でも、お客さんが少ないのは嫌いじゃない。出演者10人なら、お客さんが10人くらいだと、緊張感があって」「とはいえ、やっぱりお客さんはたくさん入る方がいい」と言っていた。
わたしのように、新聞なんかで公演を知った人が多いのだろう。
この作品は、本多劇場こけら落とし3公演のうちの一つだったとか。
中村伸郎の舞台をたくさん見ておきたかったなあ、と思う。
別役実作、柄本明演出
「そして誰もいなくなった~ゴドーを待つ十人のインディアン~」
下北沢 本多劇場
日刊スポーツの記者コラムを見て知った公演。
別役作品ですと。
なんとなんと。
これは行かねば。
急遽チケットを手配。
演劇の本丸、本多劇場に初めて乗り込んだ。
なんか、王道っつう感じだ。
東京乾電池と言えば、個人的には「笑ってる場合ですよ!」に尽きる。
ニュースステーションの「金曜チェック」と並んで、小劇団的なものをわたしに知らしめてくれたものだ。
なんだ、小劇団的なものって。
1980年当時のわたしの小劇団観、それは、「生活費にゆとりがないにもかかわらず、人を笑わそうとしている奇特な人たち」という大変失礼なものだったことを思い出す。
上演作品は、タイトル通り、「ゴドーを待ちながら」+「そして誰もいなくなった」。
チラシによれば、そこにモンティ・パイソン的ななにかも加わるとのこと。
お茶会に集められた人々と召使夫婦。主催者のゴドーを待ちながら、なんやかやでひとりずつ死んでいく。
不条理劇を解っているとはまったく言えないが、不条理さが醸す可笑しさや哀しみがあるわけで、それをさらに喜劇として面白くしようとすると、喜劇としての面白さが勝ってしまうのかな、という気がした。
でもやっぱり、生身の役者さんのリズミカルな動きは魅力的だ。
綾田俊樹はすっかり好々爺だなあ。
柄本明が、「今日はたくさんお客さんが来てくれたが、日程の最初のほうはこんなではなかった」「でも、お客さんが少ないのは嫌いじゃない。出演者10人なら、お客さんが10人くらいだと、緊張感があって」「とはいえ、やっぱりお客さんはたくさん入る方がいい」と言っていた。
わたしのように、新聞なんかで公演を知った人が多いのだろう。
この作品は、本多劇場こけら落とし3公演のうちの一つだったとか。
中村伸郎の舞台をたくさん見ておきたかったなあ、と思う。
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