モクハチ見ましたか?
2015年2月8日 TVほんの少ししか見られませんでした。残念
ほっそりした弘田三枝子、夜会っぽい素敵なドレスで登場。
「人形の家」なのかー、と思ったら、
「弘田三枝子さんには、デビュー曲を歌っていただきます」。
歌唱を見るのは初めて、『子供じゃないの』。
弘田三枝子はマイクを持った左手の甲というか手首辺りを、右手で叩きながらリズミカルに歌う。
ところどころ唸りを入れて、独特のハネは健在。
弘田三枝子リズムだ。
譜割りに関しては、弘田三枝子アレンジと言って良いようだ。
漣健児の研究本のインタビューで語っていたのを読んだ。
歌詞の描写は、今となっては夢のような世界である。
きっといまの10代後半は、大人になることにここまでの憧れを持っていないだろう。
モクハチはあいかわらず、いまどきNHKでも紅白でしか見られないバックダンサーを繰り出してくる。
頑張って続けてほしいなあ。
ほっそりした弘田三枝子、夜会っぽい素敵なドレスで登場。
「人形の家」なのかー、と思ったら、
「弘田三枝子さんには、デビュー曲を歌っていただきます」。
歌唱を見るのは初めて、『子供じゃないの』。
弘田三枝子はマイクを持った左手の甲というか手首辺りを、右手で叩きながらリズミカルに歌う。
ところどころ唸りを入れて、独特のハネは健在。
弘田三枝子リズムだ。
譜割りに関しては、弘田三枝子アレンジと言って良いようだ。
漣健児の研究本のインタビューで語っていたのを読んだ。
歌詞の描写は、今となっては夢のような世界である。
きっといまの10代後半は、大人になることにここまでの憧れを持っていないだろう。
モクハチはあいかわらず、いまどきNHKでも紅白でしか見られないバックダンサーを繰り出してくる。
頑張って続けてほしいなあ。
don’t trust under 90.
2015年2月8日 TV「日曜美術館 『行き暮れてひとり ~画家 野見山暁治のアトリエ日記』」 NHK教育
日野原重明氏が新聞連載で、「自分と同年齢かそれより上で、現役の人はいるのだろうか、と思っていたら、画家中一弥氏の存在を知り、意を強くした」と書いていた。
日野原氏、中氏とも、1911年生まれだそうだ。
1911年、明治44年だ。
それより若いと言えば若いが、野見山暁治氏は1920年生まれだそうだ。
昨年放送された番組の再放送。
学業を切り上げさせられて戦地へ赴けば、病で死線を彷徨う。
戦後修行に出たパリでは、妻をひとり看取る。
再婚相手にも先立たれる。
被災地を訪れて、感じた恐怖を語る野見山氏。
さんざん悲しい思い、怖い思いをしているだろうになお、やがてすべて滅びてしまうのではないか、という恐れを感じたという。
ぼんやりとしているうちにひとり残されて日が暮れてしまった、「行き暮れているよう」な感覚である、という野見山氏。
テレ東「美の巨人たち」で藤島武二『黒扇』を取り上げたときの取材風景に、「野見山氏は確かに93歳(当時)だが、時折、青年と話しているような錯覚があった」とある。
人生経験を仔細に記憶していて、その感覚を身近なものとして保ち続けている感性が凄い。
淡々と語り、黙々と制作に励む野見山氏。
自作の赤い鬼の面を被り、「鬼は外」とアトリエに豆をまく野見山氏。
赤いニットにスカル模様のマフラーが、とっても素敵。
日野原重明氏が新聞連載で、「自分と同年齢かそれより上で、現役の人はいるのだろうか、と思っていたら、画家中一弥氏の存在を知り、意を強くした」と書いていた。
日野原氏、中氏とも、1911年生まれだそうだ。
1911年、明治44年だ。
それより若いと言えば若いが、野見山暁治氏は1920年生まれだそうだ。
昨年放送された番組の再放送。
学業を切り上げさせられて戦地へ赴けば、病で死線を彷徨う。
戦後修行に出たパリでは、妻をひとり看取る。
再婚相手にも先立たれる。
被災地を訪れて、感じた恐怖を語る野見山氏。
さんざん悲しい思い、怖い思いをしているだろうになお、やがてすべて滅びてしまうのではないか、という恐れを感じたという。
ぼんやりとしているうちにひとり残されて日が暮れてしまった、「行き暮れているよう」な感覚である、という野見山氏。
テレ東「美の巨人たち」で藤島武二『黒扇』を取り上げたときの取材風景に、「野見山氏は確かに93歳(当時)だが、時折、青年と話しているような錯覚があった」とある。
人生経験を仔細に記憶していて、その感覚を身近なものとして保ち続けている感性が凄い。
淡々と語り、黙々と制作に励む野見山氏。
自作の赤い鬼の面を被り、「鬼は外」とアトリエに豆をまく野見山氏。
赤いニットにスカル模様のマフラーが、とっても素敵。