お年玉いただきましたよ
2015年2月5日 TV
この年齢にして。しかも2月に。
宅配便が届いた。
最近自宅でめっきりパソコンを開かないので、通信販売を利用した記憶がない。
なにやら物凄く厳戒態勢な荷物である。
なんだろう。
と、送り状に「ファミリー劇場」の文字が。
大晦日に緊急検証シリーズ特番を見た。
お年玉プレゼントに応募した。
当たってしまったー
大槻ケンヂ氏サイン入りTシャツがー
嬉しい。
嬉しいが、ちゃんとしたファンの人に申し訳ない。
大槻氏のファンと、「緊急検証シリーズ」のファン、双方に、
(わたしなんぞが当てちゃってすまない)という気持ちでいっぱいである。
宅配便が届いた。
最近自宅でめっきりパソコンを開かないので、通信販売を利用した記憶がない。
なにやら物凄く厳戒態勢な荷物である。
なんだろう。
と、送り状に「ファミリー劇場」の文字が。
大晦日に緊急検証シリーズ特番を見た。
お年玉プレゼントに応募した。
当たってしまったー
大槻ケンヂ氏サイン入りTシャツがー
嬉しい。
嬉しいが、ちゃんとしたファンの人に申し訳ない。
大槻氏のファンと、「緊急検証シリーズ」のファン、双方に、
(わたしなんぞが当てちゃってすまない)という気持ちでいっぱいである。
モクハチ見ましたか?
2015年2月8日 TVほんの少ししか見られませんでした。残念
ほっそりした弘田三枝子、夜会っぽい素敵なドレスで登場。
「人形の家」なのかー、と思ったら、
「弘田三枝子さんには、デビュー曲を歌っていただきます」。
歌唱を見るのは初めて、『子供じゃないの』。
弘田三枝子はマイクを持った左手の甲というか手首辺りを、右手で叩きながらリズミカルに歌う。
ところどころ唸りを入れて、独特のハネは健在。
弘田三枝子リズムだ。
譜割りに関しては、弘田三枝子アレンジと言って良いようだ。
漣健児の研究本のインタビューで語っていたのを読んだ。
歌詞の描写は、今となっては夢のような世界である。
きっといまの10代後半は、大人になることにここまでの憧れを持っていないだろう。
モクハチはあいかわらず、いまどきNHKでも紅白でしか見られないバックダンサーを繰り出してくる。
頑張って続けてほしいなあ。
ほっそりした弘田三枝子、夜会っぽい素敵なドレスで登場。
「人形の家」なのかー、と思ったら、
「弘田三枝子さんには、デビュー曲を歌っていただきます」。
歌唱を見るのは初めて、『子供じゃないの』。
弘田三枝子はマイクを持った左手の甲というか手首辺りを、右手で叩きながらリズミカルに歌う。
ところどころ唸りを入れて、独特のハネは健在。
弘田三枝子リズムだ。
譜割りに関しては、弘田三枝子アレンジと言って良いようだ。
漣健児の研究本のインタビューで語っていたのを読んだ。
歌詞の描写は、今となっては夢のような世界である。
きっといまの10代後半は、大人になることにここまでの憧れを持っていないだろう。
モクハチはあいかわらず、いまどきNHKでも紅白でしか見られないバックダンサーを繰り出してくる。
頑張って続けてほしいなあ。
don’t trust under 90.
2015年2月8日 TV「日曜美術館 『行き暮れてひとり ~画家 野見山暁治のアトリエ日記』」 NHK教育
日野原重明氏が新聞連載で、「自分と同年齢かそれより上で、現役の人はいるのだろうか、と思っていたら、画家中一弥氏の存在を知り、意を強くした」と書いていた。
日野原氏、中氏とも、1911年生まれだそうだ。
1911年、明治44年だ。
それより若いと言えば若いが、野見山暁治氏は1920年生まれだそうだ。
昨年放送された番組の再放送。
学業を切り上げさせられて戦地へ赴けば、病で死線を彷徨う。
戦後修行に出たパリでは、妻をひとり看取る。
再婚相手にも先立たれる。
被災地を訪れて、感じた恐怖を語る野見山氏。
さんざん悲しい思い、怖い思いをしているだろうになお、やがてすべて滅びてしまうのではないか、という恐れを感じたという。
ぼんやりとしているうちにひとり残されて日が暮れてしまった、「行き暮れているよう」な感覚である、という野見山氏。
テレ東「美の巨人たち」で藤島武二『黒扇』を取り上げたときの取材風景に、「野見山氏は確かに93歳(当時)だが、時折、青年と話しているような錯覚があった」とある。
人生経験を仔細に記憶していて、その感覚を身近なものとして保ち続けている感性が凄い。
淡々と語り、黙々と制作に励む野見山氏。
自作の赤い鬼の面を被り、「鬼は外」とアトリエに豆をまく野見山氏。
赤いニットにスカル模様のマフラーが、とっても素敵。
日野原重明氏が新聞連載で、「自分と同年齢かそれより上で、現役の人はいるのだろうか、と思っていたら、画家中一弥氏の存在を知り、意を強くした」と書いていた。
日野原氏、中氏とも、1911年生まれだそうだ。
1911年、明治44年だ。
それより若いと言えば若いが、野見山暁治氏は1920年生まれだそうだ。
昨年放送された番組の再放送。
学業を切り上げさせられて戦地へ赴けば、病で死線を彷徨う。
戦後修行に出たパリでは、妻をひとり看取る。
再婚相手にも先立たれる。
被災地を訪れて、感じた恐怖を語る野見山氏。
さんざん悲しい思い、怖い思いをしているだろうになお、やがてすべて滅びてしまうのではないか、という恐れを感じたという。
ぼんやりとしているうちにひとり残されて日が暮れてしまった、「行き暮れているよう」な感覚である、という野見山氏。
テレ東「美の巨人たち」で藤島武二『黒扇』を取り上げたときの取材風景に、「野見山氏は確かに93歳(当時)だが、時折、青年と話しているような錯覚があった」とある。
人生経験を仔細に記憶していて、その感覚を身近なものとして保ち続けている感性が凄い。
淡々と語り、黙々と制作に励む野見山氏。
自作の赤い鬼の面を被り、「鬼は外」とアトリエに豆をまく野見山氏。
赤いニットにスカル模様のマフラーが、とっても素敵。
会期はあすまで
佐野美術館 「初公開の矢部コレクション ひとの縁は、ものの縁」
沼津の実業家、矢部利雄さんのコレクションだ。
乗り物酔いがひどく、殆ど沼津から出ないままに蒐集したとのこと。
室町期の漆工芸、供物台や盆などの滑らかな曲線から、当時の技術がすでに高水準だったことがわかる。
画風にほのぼのとした魅力のある池大雅、蝶を見上げる猫の姿がなんとも言えない渡辺崋山。さすが御当地、白隠さんの絵もあった。
なんて言いながら、一番びっくりしたのは、人出である。
すごい人出。
いつもはのんびりムードの発券エリア、今日は三人体制だ。
ちょっとピリピリ。
会場内では、行列ができていた。
さすがのビッグネームである。
思えば槍というものを、こんなにまじまじと見たのは初めてだ。
こんな形状なんですなあ。
蜻蛉切はぴかぴかに輝いていた。
他の刀剣も由緒のあるもので、「一」と一文字銘の入った太刀など、信長由来の品々も。
連れて行っていただき、ありがとうでした。
美味しいランチと美味しいディナーで、うれしい休日であったよ。
佐野美術館 「初公開の矢部コレクション ひとの縁は、ものの縁」
沼津の実業家、矢部利雄さんのコレクションだ。
乗り物酔いがひどく、殆ど沼津から出ないままに蒐集したとのこと。
室町期の漆工芸、供物台や盆などの滑らかな曲線から、当時の技術がすでに高水準だったことがわかる。
画風にほのぼのとした魅力のある池大雅、蝶を見上げる猫の姿がなんとも言えない渡辺崋山。さすが御当地、白隠さんの絵もあった。
なんて言いながら、一番びっくりしたのは、人出である。
すごい人出。
いつもはのんびりムードの発券エリア、今日は三人体制だ。
ちょっとピリピリ。
会場内では、行列ができていた。
さすがのビッグネームである。
思えば槍というものを、こんなにまじまじと見たのは初めてだ。
こんな形状なんですなあ。
蜻蛉切はぴかぴかに輝いていた。
他の刀剣も由緒のあるもので、「一」と一文字銘の入った太刀など、信長由来の品々も。
連れて行っていただき、ありがとうでした。
美味しいランチと美味しいディナーで、うれしい休日であったよ。