毎年なんとなく口遊む


Chicago "Saturday in the park" (1972)
「サタデイ・イン・ザ・パーク」は、ある土曜日のセントラルパークを歌っている。
人々は語り合い、笑いあう。
ジェラート売りはイタリア語の歌を歌っている。
それは確か、7月4日のこと。

ロバート・ラムとピーター・セテラのハーモニー、ブラス、ラムのピアノの音が心地よい。

シカゴのアルバムの多くは、そのタイトルが"Chicago V"のように「バンド名+数」だ。
ファンの人は大変だなあ。
日本盤では「遥かなる亜米利加」とか「市俄古への長い道」とか、サブタイトルで工夫。

そしてシングルも邦題の宝庫だ。

"25 or 6 to 4" (1970)
邦題「長い夜」
フジテレビ「クイズ・ドレミファドン」を見ていたら、秀樹がイントロ当てたんだ。というくらい特徴的なイントロと、テリー・キャスのワウ全開のギターソロ。
"Twenty-five or six to four"の英語の意味が解ったのは、曲を知ってからずいぶん後。
もうすぐ4時です。めざにゅー的な意味か。
「長い夜」、言い得て妙。

"Does anybody really know what time it is?" (1971)
邦題「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」
邦題の持つ政治的な感じは、曲だけ聴くと一蹴される。あのイントロの頻繁なリズムチェンジに、演奏者がタイム感を失いそうになるのを皮肉っているタイトルなのかなと。違うか。
"Everybody’s got something to hide except me and my monkey"とタイトルをよく混同する。

"Hard to say I’m sorry" (1982)
邦題「素直になれなくて」
曲はどうにも好きではないのだが、邦題は上手いことつけたなあ、と思う。
曲はまあ、はっきり言って、どうでもよい。

ベトナム戦争下の72年、土曜日のしかも独立記念日のセントラルパークは、どんな雰囲気だったのだろう。
一見のどかな「サタデイ・イン・ザ・パーク」には、唐突にこんな一節が現れる。

"Listen children, all is not lost. All is not lost"
わたしは知らぬ

昨日、美味しいお鮨をごちそうになった。 
むろん回っていないほう。
高笑い。

回転鮨でも、お持ち帰り鮨でも、美味しくいただいていたのに。
それはおとといまでの自分。
さらば、昔のわたしよ。

海老の色が違う!
牡蠣のうまみが違う!
卵焼きの風味が違う!
鯵、穴子、シマアジ、中トロ、ヒラメ、コハダ、サバ、すべて味が違う!
シャリはもちろん、ネタも冷たくないよ!
酢飯はほろっと口の中で崩れるし、ネタはほどよい温度で、
おさかなのうまみを堪能。
美味しかったね。
ごちそうさまでした。

その昔、職場の先輩女性に、お鮨をごちそうしていただけることになった。
むろん回っていないほう。
あれは確か平成4年とか5年とか。
お鮨屋さんなんて初めてだ。だから自分の腹の加減がわからない。

今日のお夕飯はお鮨、という午後。
他の職場を通りかかったら、よりによって、ケーキをおすそわけされてしまった。

20代だったから、ケーキはベツバラだと思っていたさ。

ベツバラでは、なかったさ。

夜のお鮨が、進まないこと。

一生の不覚である。

終生忘れまい。


読んだ本について記録する 8
読んだ本について記録する 8
別役実 「東京放浪記」 平凡社 2013

東京ほど地名で語られる都市はない。

例えば、朝刊に「たばこと塩の博物館」の広告が載っていた。
それによると、近々、渋谷区から墨田区へ移転するそうだ。

「渋谷のあのあたりもなんか寂しくなっちゃったし、ちょっとおっかない感じだからね、墨田区なんていいんじゃないの。スカイツリーあるし。」
などとつい言ってしまうわたし。

住んだことがあればよく利用した路線や沿線を、住んだことがなくても、通った覚えのある街を、親しげに語りがちだ。

著者は高校卒業後、家族で長野県から上京した。
以来今日までを、住所の地名から、親しんだ街の名前から、電車の路線から、振りかえっている。

タイトルにあるように、そこに定着するようなしないような、仮住まいのようなそうでないような暮らしが描かれる。

早稲田大学入学直後に演劇活動に参加し、以来、劇作中心の暮らしも、帰属のないようなあるような空気を漂わす。

それは、著者の来歴もさることながら、東京という街のもつ独特さに由来するものなのかもしれない。

自著について書かれているのも、興味深い。

執筆は長らく喫茶店で行い、それに適した喫茶店のあれこれも書かれている。

著者の喫茶店についてのこだわりを、大学生のころ読んだエッセイで知った。
現代新書編集部編 「東京情報コレクション」 講談社 1986
だいぶ浮かれたタイトルの選書だが、集められたエッセイは、バブル全盛期だというのに醒めた目線が感じられ、今読んでも面白い。
この本は国分寺の三石堂で買ったのだが、あるじ(かな?)の見事な手さばきで、紙カバーが掛けられている。

元の書籍にもどって、「東京放浪記」は、帯にあるように自伝的エッセイ集であるので、ご家族のことも折に触れ描かれている。
娘さんであるべつやくれい氏のファンは、必読だ。

べつやく氏も、東京の街についてのエッセイを描いている。
べつやくれい 「東京おさぼりスポット探検隊」 メディアファクトリー 2010
帯にあるように、東京の街でうまいことさぼる、ということをひたすら主眼にしている。
お父様にできたばかりの東急ハンズへ連れて行ってもらったエピソードなども、描かれている。

ふと思い出したのだが、中村伸郎の「授業」を見たいと思っていたが、ついぞ見る機会がなかった。
ジァンジァンもなくなってしまった。

渋谷なんて、もとよりわたしが語れるような街ではないのである。


他にタイトルを思いつかなんだ。

1980年はポール・マッカートニーの不来日で明けた。

しばらくして、渋谷陽一のラジオ番組で、当時を振り返るポールのインタビューを聴いた。
収容された施設では、他の収容者に結構喜ばれたらしい。
また、彼らが「マギタチャ」と盛んに言っていて、何のことやら判らなかったが、そのうちマーガレット・サッチャーのことを言っていると気付いたとか。
まるで旅行の思い出を振りかえるがごとく語っていた。

たまたま最近、レコードコレクターズのバックナンバーで、プロモーターの横山東洋夫氏のインタビューを読んだ。
プロモーター業で最も苦労するのが、入国だそうである。
インターポールに事前に逮捕歴を問い合わせたり、法務省に相談したり、それでも難しいとなると、法務大臣に陳情までしたとか。(例に上がっていたのは、ポールではなく、レイ・チャールズである。)

ポールは、80年の逮捕以前にも一度、ビザを取り消されて来日公演が中止になっている。
が、その後何度か来日公演を行っているから、そのへんは折り合いがついているんだろう。

音楽業界への実績や貢献度から言えば、もはや国賓レベルである。リビング・レジェンドである。

プロモーターのひやひや度も国賓なみ。

ロンドン五輪開会式でのポール、ちょっと風貌がオバサンぽかったが、心を動かされた。
最近のアメリカツアーでも、立ってベースを弾きながら歌う姿が報じられている。
あるセットリストでは、「エイトデイズアウィーク」から「ゴールデンスランバー」まで、全36曲。すごいなあ。

目下すっかり夏バテなわたしには、諸々羨ましい。

特にポールのファンではないけれど、「心のラブ・ソング」のベース、間近で聴いてみたいなあ。