他にタイトルを思いつかなんだ。

1980年はポール・マッカートニーの不来日で明けた。

しばらくして、渋谷陽一のラジオ番組で、当時を振り返るポールのインタビューを聴いた。
収容された施設では、他の収容者に結構喜ばれたらしい。
また、彼らが「マギタチャ」と盛んに言っていて、何のことやら判らなかったが、そのうちマーガレット・サッチャーのことを言っていると気付いたとか。
まるで旅行の思い出を振りかえるがごとく語っていた。

たまたま最近、レコードコレクターズのバックナンバーで、プロモーターの横山東洋夫氏のインタビューを読んだ。
プロモーター業で最も苦労するのが、入国だそうである。
インターポールに事前に逮捕歴を問い合わせたり、法務省に相談したり、それでも難しいとなると、法務大臣に陳情までしたとか。(例に上がっていたのは、ポールではなく、レイ・チャールズである。)

ポールは、80年の逮捕以前にも一度、ビザを取り消されて来日公演が中止になっている。
が、その後何度か来日公演を行っているから、そのへんは折り合いがついているんだろう。

音楽業界への実績や貢献度から言えば、もはや国賓レベルである。リビング・レジェンドである。

プロモーターのひやひや度も国賓なみ。

ロンドン五輪開会式でのポール、ちょっと風貌がオバサンぽかったが、心を動かされた。
最近のアメリカツアーでも、立ってベースを弾きながら歌う姿が報じられている。
あるセットリストでは、「エイトデイズアウィーク」から「ゴールデンスランバー」まで、全36曲。すごいなあ。

目下すっかり夏バテなわたしには、諸々羨ましい。

特にポールのファンではないけれど、「心のラブ・ソング」のベース、間近で聴いてみたいなあ。

毎年なんとなく口遊む


Chicago "Saturday in the park" (1972)
「サタデイ・イン・ザ・パーク」は、ある土曜日のセントラルパークを歌っている。
人々は語り合い、笑いあう。
ジェラート売りはイタリア語の歌を歌っている。
それは確か、7月4日のこと。

ロバート・ラムとピーター・セテラのハーモニー、ブラス、ラムのピアノの音が心地よい。

シカゴのアルバムの多くは、そのタイトルが"Chicago V"のように「バンド名+数」だ。
ファンの人は大変だなあ。
日本盤では「遥かなる亜米利加」とか「市俄古への長い道」とか、サブタイトルで工夫。

そしてシングルも邦題の宝庫だ。

"25 or 6 to 4" (1970)
邦題「長い夜」
フジテレビ「クイズ・ドレミファドン」を見ていたら、秀樹がイントロ当てたんだ。というくらい特徴的なイントロと、テリー・キャスのワウ全開のギターソロ。
"Twenty-five or six to four"の英語の意味が解ったのは、曲を知ってからずいぶん後。
もうすぐ4時です。めざにゅー的な意味か。
「長い夜」、言い得て妙。

"Does anybody really know what time it is?" (1971)
邦題「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」
邦題の持つ政治的な感じは、曲だけ聴くと一蹴される。あのイントロの頻繁なリズムチェンジに、演奏者がタイム感を失いそうになるのを皮肉っているタイトルなのかなと。違うか。
"Everybody’s got something to hide except me and my monkey"とタイトルをよく混同する。

"Hard to say I’m sorry" (1982)
邦題「素直になれなくて」
曲はどうにも好きではないのだが、邦題は上手いことつけたなあ、と思う。
曲はまあ、はっきり言って、どうでもよい。

ベトナム戦争下の72年、土曜日のしかも独立記念日のセントラルパークは、どんな雰囲気だったのだろう。
一見のどかな「サタデイ・イン・ザ・パーク」には、唐突にこんな一節が現れる。

"Listen children, all is not lost. All is not lost"
何故ならそれは吉田よしみ名義。

天童よしみのデビュー曲「風が吹く」を初めて聴いた。

作詞たけなかろう。

竹中労である。

中村とうように喧嘩吹っかけられた人?
吹っかけた人?
わたしの勘違いか。

「15歳の自分が歌うには、難しい歌だった」と言う天童。

オレのふるさとは、ひたすら風の吹く村で、
いまはちらちら揺れるネオンの街で、
もう帰る家も親もなく

という歌。

天童よしみは意外に、都会的なセンスの持ち主だと思う。
同じインタビューで、子供の頃、テレビの中の人になりたかった、と語っていた。
テレビがある暮らしで、両親の愛情深く育った子供には、確かに難しい世界だ。

そんな天童情報、「こぶしのない夜」というライヴをやっているらしい。
ドラマーはそうる透だ。
ベースは高橋ゲタ夫。
行きたいなあ。
でも平日。
フジロックへ行きたいな
行かないんですけどね


ことしのフジロックに、エイミー・マンが来る。

この4月でツアーがひと段落したらしく、彼女の公式ページによると、フジロックの前後はコンサート日程がない。
フジロックのためだけの来日なのかなあ。

ティル・チューズデイ時代の曲は、ヒットしたシングルしか知らない。
"Voices carry" 邦題「愛のVOICES」(1985)
邦題がてきとうだと思う。

10年後(だったのか…)の1995年のソロアルバム"I’m with stupid"には、(我が)スクイーズのグレン・ティルブルックとクリス・ディフォードが参加している。
このアルバムの一曲目、"Long shot"のギターソロの一節が、スクイーズの"Up the junction"のイントロ(たぶん)だったりして、楽しい。

音楽を手掛けた1999年の映画『マグノリア』、サウンドトラックの冒頭を飾るニルソンのカヴァー"One"は、95年のトリビュート盤"For the love of Harry:Everybody sings Nilsson"に収録されている。
最初の"OK,Mr.mix"の声は、ニルソン自身のものらしい。また、ニルソンの他の曲の歌詞をそのままバックヴォーカルとして重ねたり、スクイーズのクリスとニール・イネスが参加したり。趣深いヴァージョンだ。

アカデミー賞の授賞式で、"Save me"を歌っていたなあ。
いつもながら淡々と。
いつも見ていたわけではないが。

昨年出たアルバム"Charmer"を、遅まきながら最近聴いている。
いつになく、軽快な感じがする。
潔さはあいかわらず。かっこいいなあ。
コンサート行きたいなあ。フジロックは無理だけど。

ことしの夏は、トッド・ラングレンも来日する。
トッドの新譜"State"は、どうなんだろう。
聴くのが怖い。

中学1年当時のわたしは、「ゴダイゴのシングルレコードをたくさん持っている人」だった。


ゴダイゴの"Our decade"(1979)は、わたしが初めて買ったオリジナルアルバムだ。
ちなみに生まれて初めて買ったLPレコードは、「ピンク・レディー ベストヒットアルバム」(1977)である。

"Our decade"には、知っているヒット曲は「はるかな旅へ」1曲しか入っていなかった。
たぶん、当時のわたしは拍子抜けしたんだろう。

このアルバムから、いろいろなことを知った。

「パープルポイズン」という曲は、とっても短いのだけど、歌詞にハイジャック、クーデター、バングラデシュ、という言葉が出てくる。
ホステージ(人質)という言葉も出てくるが、中学1年生だからまだ知らない。
歌詞らしくない言葉だなあ、と思った。

わたしが「花はどこへ行ったの」などのメッセージ性の高い歌や、ウッドストックなんかを知ったのは、この曲よりずっと後だ。

映画「イージーライダー」というものがあるのを知らず、2曲目の同タイトル曲から情景を思い浮かべた。


「人類の進歩と調和」をテーマに行われた日本万国博覧会。70年代はこの催しから始まった。
進歩と調和の実現のため高みを目指すうち、コミュニケーションを失いはじめた、と歌う「プログレスアンドハーモニー」を皮切りに、"Our decade"は、70年代の10年間をふりかえる内容となっている。

希望に満ちたはじまりであったはずなのに、世相や時代の変化に伴う不安感が歌詞には反映されている。


何回も聴いた愛聴盤だが、そのうち、ゴダイゴのタケカワユキヒデのヴォーカルが、癖のない明朗な感じなので、曲調に合わないような気がしてきた。

ほどなくして、「こういう音楽を聴くんだったら、本場のロックを聴けばいいのだ」と思って、わたしは洋楽一辺倒になっていった。

あまり私的な感情を歌わず、大きなことを歌いがちな気がして、ゴダイゴというバンドがなんとなく面白みがないように思い始めた。


"Our decade"を先日、CDで買い直して、聴き返している。

繊細なアレンジを施した、上質なロック・アルバムである。古さは感じない。

呼称は知らないにしても「コンセプトアルバム」だとは思っていたが、ゴダイゴ、今聴くと案外プログレであったよ。

物足りなく思ったヴォーカルは、この声質だからこそ、何度となく聴き返すことに耐えられるのだと思った。
楽曲そのものの持つ感情が、素直に伝わる。

CDのクレジット(字が小さすぎる)を読んで初めて気づいたのが、女性コーラス陣。
ひとりは"Kayoko Ishu"とあるから、伊集加代。
贅沢だ。
ネスカフェは、CMを伊集版へ戻すように。
今のあれはないわ。
もうひとりは、"Sandi A.hohn"とあるが、サンセッツのサンディかな。サンドラ・ホーンですかな。
贅沢だ。

テレビで見てファンになって、ゴダイゴは間違いなくわたしのアイドルだった。
アイドルでありながら30年以上経っても、懐かしい思いだけでなく楽曲が聴けるのは、本当に嬉しいことだ。
そしてラストはラフミックスのテーマ

『GRANDFATHERS出戻りツアー2013』@渋谷O-nest 2013年2月2日

日付が近づくにつれ面倒くさくなるのは、年齢のせいか。若干重い足取りで、若者がひしめく渋谷へ。
案の定椅子席は獲得できず、気の重いまま入場。
しかし、整理番号が早かったため、一段高い&手すりありの好位置をキープ。でかした自分。
開演時間が近づくにつれ、どこから集まるか、課長級or部長級のおっさんたち。
バンドの稼働時代を知らないため、リアルタイムのファンはこのくらいの年齢なんだと実感する。
そしてそれは、自分とさほど変わらない。

6年くらい前に、グランドファーザーズの再結成ライヴを見た。
(『One Night Grandfathers 』渋谷ラ・ママ 1996年5月3日)
なんと持ち味の異なる人々がバンドを組んだものよ、と思った。

おんなじ人間はいないのだけど、ここまで志向の異なる(と思われる)人たちが、一緒に演奏するのはおもしろい。
志向が違うからこそ、生まれるものがあるのだな。
伊達に長いこと、やっていないですな。

このままずっと、ファンとともに老いていくのだね。
ファンは、バンドとともに老いたいのであろう。
「次は還暦だ」(大田氏発言)とのことだが。

爆笑MCを繰り出す大田氏。
キュートなひとことが可愛い西村氏。
存外人の悪い青山氏。

印象に残った言葉 1
アンコールで販促Tシャツに着替えた出演者、カーキ色のTシャツだけ着ている人がいない、の声に、
(おびえた声で)「聞いてません」(ゲストの棚谷祐一氏発言)

印象に残った言葉 2
自分が出演するライヴ告知で、
「川口(義之)さんも出るんすね。ソロなんすかね。なにするんでしょう。」(青山氏発言)

本当に人が悪い。
プリンス、自曲"Kiss"のマルーン5によるカヴァーに辛口コメント(出典・1月30日放映「ビルボードTop40」(tvk)のコネタ)


ならばプリンス、ウォーレン・ジヴォンには何と発言したのかい?

かつて、ウォーレン・ジヴォンが紹介された雑誌の記事やアルバム評を読むたび、わたしには「不遇の人である」という刷り込みがされた。
音楽家筋には評価が高いが、セールスに恵まれない、というような。
それこそ、リンダ・ロンシュタットのカヴァーで知られる自作曲を地で行くような。

リンダ・ロンシュタット "Poor,poor,pitiful me"「私はついてない」1978

実際のところどうだったのかな、と思い始めたのは、投稿動画サイトで「レイトショウ」などでの、喋ったり歌ったりしている彼を見てからである。
もっと覇気のない人だと思い込んでいた。すまん。

そのウォーレン・ジヴォンがR.E.M.のメンバーと組んだHindu Love Godsが1990年にリリースした、かっこいいプリンスのカヴァーが"Raspberry beret"だ。本当にかっこいい。やる気の出ない朝に、テンションをあげるのに最適。

ウォーレン・ジヴォンは、何故かしらねどスティーヴ・ウインウッドの"Back in the high life"もカヴァーしている。これも味わい深いのだが、もしかして何かの皮肉なのかな、と勘繰ってしまう。

ロビン・ヒッチコックがカヴァーしたリップス・インクの"Funky town"も、唐突というか、両極端は一致する、というのはこういうことなのかな、と思う。ロビン・ヒッチコックは、近々新譜が出るらしい。

グレン・ティルブルックはライヴでいろいろなカヴァー曲を披露するが、なかでもわたしが好きなのは、トム・ショーンズの"It’s unusual"だ。原曲のいかにも男性らしい歌声と違い、少年っぽいグレンの声がなんともかわいく聞こえる。はやくまた、来日公演が見たいな、と思う。

最後に「レイトショウ」に出演した時、ウォーレン・ジヴォンは"Enjoy every sandwich"という言葉をのこしている。そして、その日収録後の控室で、番組でいつも使用していたギターを司会者のデヴィッド・レターマンに贈ったというエピソードを読むたび、いつも涙が出る。
ドナルド・フェイゲンが「以前はレコードを売って生計を立てていたが、今はそれができず、コンサートの収益が主な収入源である」と発言している、と青山陽一がリツイートした小野島大のツイートで知る(ややこしい)。

大学生だったころ、レコード盤からCD盤への移行期が到来した。新譜はレコード・CD・カセットテープの三形態で出された。また、既発レコードのCD化も始まった。
CD化にあたっては、サイズがちいさくなってジャケットの趣をそぐとか、デジタルは色気がないとか、否定的な意見も多かった。わたしは寮生活をしていてレコードプレーヤーを持てなかったから、CDの手軽さがありがたかった。
そのころ初めて、渋谷のタワーレコードへ行ってみた。まだ確か、東急ハンズの近くのビルの二階にあったような気がする。わたしにも渋谷をうろうろしていた時代があったのだ。今となっては我ながら信じられない。

渋谷はいっとき、夢のようなところだった。規模も品ぞろえもさまざまなCDショップがたくさんあった。お目当てのCDを買ったあと、他の店舗へも必ず行った。雑誌で見たCDを試聴したり書籍を何冊も立ち読みしたり、何時間いても飽きない。本当に楽しい場所だった。
今となっては我ながら、迷惑なお客である。


何故最近、以前のようにCDを買わなくなってしまったのだろう。
旧作品の怒涛のリイシューがひと段落したせいか。
あのセロファンを剥がすのが、ついに面倒になったのか。
音楽自体に関心がなくなってしまったからか。
新しい音楽に、わたしがついていけなくなったからか。

高校生のころは、ほとんど毎日本屋さんに寄り道していた。
本が好きだったというより、本屋さんが好きだったのだな。
今はネットで本が買えるが、だからといって、それは本屋さんのかわりにはならない。

なんだか「ラジオスターの悲劇」みたいな話になってしまうな。


ドナルド・フェイゲンは昨年来日した。コンサートにとても行きたかったのだけど、他のことを優先させたので行かなかった。
行こうと思えば無理なことではなかったが、行かなかった。
何をおいても、という気持ちがなくなっているのだな。

ドナルド・フェイゲン、新作が昨年出ているのだった。聴かないと。
始祖はリンダだったのかもしれない。

ピンクレディーにうつつを抜かした小学校期を送ったわたしであるが、それより前に熱を上げたのは、天地真理だった。
なにしろ、真理ちゃんモデルの自転車が発売されるほどの人気ぶりだったのだ。自転車欲しかった。ちょっとパーマがかかってふわふわした髪型、かわいい洋服、そして絶やさぬ笑顔。
彼女の歌声は、とても耳に残るものだ。「恋する夏の日」「虹をわたって」などは、よく物真似をしたものだ。明るい雰囲気の歌だけではなく、「若葉のささやき」など、こどもには難しい歌詞ながらとても印象に残っている。

幼児の憧れる身近な大人といえば、当時はなんといっても幼稚園の先生だった。親より若く、ピアノが弾けてお歌が上手で。そんな先生が、結婚して退職でもしようものなら、いっせいにしょんぼりしたものだ。
テレビに出ている人だとはいえ、今考えれば、わたしにとって真理ちゃんは、素敵な幼稚園の先生の具現化だったのかもしれない。

今から10年くらい前に、天地真理がNHK「思い出のメロディー」に出演したのを見た。体型の変化は聞き及んでいたので驚かなかったが、歌唱力が変貌しているのに驚いた。というかうろたえた。かなりの部分を、女声コーラスに補われていたのである。あんまり声が出ていなかった。
真理ちゃんは国立音楽大学の付属高校の出身で、音楽の才能があったはずだ。確かに最近あんまり活動していないから、現役の歌手と比べるのは酷だが、なぜ…と、わたしが狼狽することもないのだが、テレビを見ながらおろおろした。
あまりにも長い期間、天地真理のことを考えたことがなかったのに、幼いころのアイドルだったことを思い出して、急にギャップが襲ってきたのだろうか。
そんなわたしの思惑にまったく関係なく、テレビの真理ちゃんは、ひらひらしたきれいなドレスをきて、にこにこしながら歌っていた。

番組ではこの後、榊原郁恵が登場し、「夏のお嬢さん」を歌った。このとき、コーナーの進行をしていた平尾昌晃の「郁恵ちゃんは本当に素晴らしいアイドルで」という言葉が忘れられない。榊原郁恵は当時もう40歳を超えていたかもしれないのだが、きちんとアイドルを体現していた。現役感が溢れていた。

しばらく、「真理ちゃんはなぜテレビに出たのだろう」と不思議に思っていた。アイドル時代の記憶を保つのであれば、せめて声が出るよう練習するべきだったのではないか。
自分も歳をとった今思うのは、彼女には、「〇〇だから出演する」という意図はまったくなかったのではないか、ということだ。出演を依頼され、とくに支障がなかったから出演したのだろう。歳をとれば体型や顔立ちが変貌するのは当たり前だし、活動の程度によっては歌唱力も落ちる。それを取り繕うとか誤魔化すなどという気持ちは、まったくなかったのだろう。
それが紆余曲折を経てたどり着いた境地であるならば、わたしが思い悩む必要はなにもないのである。

君はフイルムコンサートを覚えているか

The Jam "Town called malice"「悪意という名の町」(1982)
やっとブリティッシュチャートにも目を向け始めた頃にヒットしていた曲。
わたしも高校生なのだ、こういうパンクっぽい、主張のあるバンドを聴かなくちゃ。ポール・ウェラーかっこいいし。いつまでもビリー・ジョエルやホール&オーツじゃいかんだろう。
と思った矢先に解散。

そんなわたしの心を埋めたのが、かのデュランデュランである。
高校の同級生が彼らのファンで、地元のレコード屋さんで行われた「フイルムコンサート」(プロモーション映像の上映)に行ったものだ。懐かしい。
表だっては、「ああいう格好のバンドはちょっと…」というのがわたしのスタンスだったが、本当は割と好きだった。デュランデュランの曲は印象に残るものが多い。が、あんまり邦題はついていないのだ。残念至極。


Duran Duran "Girls on film" 「グラビアの美少女」(1981)
邦題をつけるのであれば、このくらいのクォリティを保ってほしいわたしである。

しかし、デュランデュランの楽曲には、邦題を考えるうえで忘れてはならないものが。
それは、1983年のヒット曲、「プリーズ・テル・ミー・ナウ」である。
日本語のタイトルがついていないことに文句をつけるわけではない。
むしろ反対。

もともとのタイトルは"Is there something I should know?"である。「なにか知っておいたほうがいいことがあるのですか?」(直訳)だ。
しかしこれは、邦題「プリーズ・テル・ミー・ナウ」で正解なのだ。
歌い出しだけで"Please please tell me now"を4回も繰り返しているのである。
楽曲を通して一番印象に残るフレーズ、それは「プリーズ・テル・ミー・ナウ」。
でかした。
"Please tell me now"では目的語だか補語だかがないから意味が通らない、などとは言わせないのである。
なぜなら。

同じくデュランデュランの楽曲に、こんなものがあるではないか。

"A view to a kill"(1985)
邦題は、「007/美しき獲物たち」であるが、これはその名の通り同名映画のテーマ曲であるから、ほかのタイトルをつけようがない。問題は原題のほう。
おなじみウィキペディアによれば、もともとの原作小説は"From a view to a kill"であったのだが、映画化の際、頭のfromを取ってしまったそうだ。その結果、"A view to a kill"という意味をなさないフレーズがタイトルになったしまったそうである。

英語が母語の人でもこういうことをやるのだと思うと、心強いなあ。
もうすぐクリスマス
もうすぐクリスマス
そしてあっという間にお正月

探し物をしていて書棚についている引き出しを開けたところ、以前に購入したシングルCDが30枚くらい出てきた。蒐集癖はないので、純粋に聴くために買ったCDである。が、そのなかから意外なものが。

The Three Wise Men "Thanks for Christmas / Countdown to Christmas
party time"
The Colonel "Too many cooks in the kitchen / I need protection"
いずれも1989年にヴァージン・ジャパン(株)が販売したものらしい。定価はそれぞれ2,000円。高い。高いがしかし。

買った覚えがない。
再生した記憶もない。
いずれの音源もXTCのコンピレーション盤"Rag & Bone Buffet"(1990)に収録されている。愛聴盤なのでどの曲もなじみ深い。だが、この2枚のシングルCDを聴いた記憶がまったくない。
なんでここにあるのだろう。わたしが買ったんだろうが。


The Three Wise Menの曲は、クレジットによると作者が「カスパール/メルキオール/バルタザール」と東方の三賢人そのまま、プロデュースはThe Three Wise Men&the Good Lord、という凝りよう。聴けばXTCのアンディ・パートリッジが歌っているとすぐに判るのだが。原盤は1983年に変名バンド名義でリリースしたもの。
このシングルCDにはムーンライダースの鈴木博文が、「XTCは音楽を楽しむことにかけて誠実である」との一文を寄せている。
保存が良くなくて、紙のジャケットとプラスチックケースが分離してしまっている。ぴっちりつつんでいたビニールをはがしたはいいが、収納用のビニール袋がなく、なんとも所在無げ。開封したということは、聴いたのだろうか。

かたやThe Colonel、ジャケットに「XTCのベーシスト、コリン・ムールディングが80年にリリースしたソロ・プロジェクト」とある。
これらの曲はずっと、XTCの曲だと思っていた。このCDを今日見るまで、知らなかった。たぶん前述の"Rag & Bone Buffet"の解説書に書かれていただろうが、記憶がない。愛聴盤とかいいながらこのていたらく。こちらのシングルCDはコーティングのビニールをはがしていないので、矢口博康が書いているという解説は未読だ。

"Thanks for Christmas"に歌われている世界は素朴だ。愛と幸いが雪のように降り注ぐクリスマスに感謝するという歌。ジョン・レノンやポール・マッカートニーのクリスマスソングほどではないけれど、シーズンになるとたまにテレビ番組のBGMに使われたりして、嬉しい気持ちになる。

神様への抗議を歌にした"Dear God"が同じくXTCによって世に出されるのは、1986年のことである。
邦題について考える
populationと習いましたよ。

1982年のビルボード年間チャートは、避けて通れない正念場である。
2位J・ガイルズ・バンド"Centerfold" →「堕ちた天使」
5位ヒューマン・リーグ"Don’t you want me" →「愛の残り火」
53位ダン・フォーゲルバーグ"Leader of the band" →「バンド・リーダーの贈り物」
これらは、歌詞の内容や曲のイメージとも相俟って納得の邦題。

今の時代だとないな、というのが以下の楽曲。
36位ジョー・ジャクソン"Steppin’ out" →「夜の街へ」
42位エア・サプライ"Even the nights are better" →「さよならロンリー・ラブ」
86位ジュース・ニュートン"Break it to me gently" →「やさしくしてね」
ジョー・ジャクソンの曲はまさに夜の街へ繰り出す高揚感を誘うような曲で好きだったのだが、シングルレコードサイズのジャケットあってのタイトル、という気がする。それなら「愛の残り火」もないな、なのかもしれないが。

シングルレコードのジャケットが好きだった。

そのほか、
30位ライオネル・リッチー"Truly" →「トゥルーリー(愛と測りあえるほどに)」など、参考文献を見て「え、ほんと?」と驚かされたものもあるのだが、個人的に忘れられないのがこちら。
28位メリサ・マンチェスター"You should hear how she talks about you"  →「気になるふたり」
いかにも売り出しにくい原題(の長さ)であるから、このシングル曲の邦題自体には何の文句もないのだが、収録されていたアルバムの邦題が、

「き・れ・い・だ・ね・メリサ」(原題は"Hey Ricky")
文字と文字のあいだの中黒も込みである。それまでの歌い上げる系(勝手なイメージだが)から一新、ショートカットにはっきりしたメイク、何か言いたげな表情のポートレイト・ジャケットとともに現れた、このタイトル。「全米トップ40」で初めて耳にしたときは、ラジオに向かって思わず聞き返した。

これは、驚愕のイメチェンで洋楽ファンを震撼させた(おおげさ)オリビア・ニュートン=ジョン("Physical")、さらに遡ればジェーン・フォンダ「ワークアウト」に祖を見る、エクササイズで若返ってしまった系なのか・・・と当時は思ったものである。
現在CDで販売されている上記のアルバムは、邦題も「ヘイ・リッキー」であるようだ。なんだかもったいない。

ところで、49位ソフト・セル"Tainted love" →「汚れなき愛」は、すっかり誤訳として定着している感があるが、「きたないはきれい」的な意味あいなのかな。

参考文献:フレッド・ブロンソン『ビルボード年間トップ100ヒッツ』(音楽之友社 1994)


来年2月2日(土)於渋谷O-nestなのですが。
原則、オールスタンディングだそうです。
やっぱり、ロックはスタンディングですか!
みんなで盛り上がりますか!

つらいです(40代後半)。

店頭販売でのみ、椅子席もあるそうです!

渋谷、ほいっと買いには行けません(静岡在住)。

メトロトロンのイベントも、つらかった・・・

21年ぶりのサードアルバム、です。
前作・前々作の熱心なファンではないですが、本作は毎日聴いています。
本作の、わたしにとっての山場は、「愛がね 愛がね 愛がね」。
西村哲也さんてすごいなー
ライヴ行きたいなー

でもスタンディングなんですよ。

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