ふたりのフェリシアーノ
2014年4月19日 日常全世界的に取り違えたのだね
先日の夕刊に載った訃報がふたつ。
ひとりはガブリエル・ガルシア・マルケス。
そしてもうひとりが、「ホセ・フェリシアーノ」。
盲目のサルサ歌手、とある。
え、サルサ歌手だったのか。
ホセ・フェリシアーノの演奏曲で思い出だすのは、言わずと知れた「ライト・マイ・ファイア」であるが、わたしにとって思い出深いのは、ミニー・リパートンのヴァージョンである。
ミニー・リパートンのアルバム「ミニーと出会ったら」に入っている。
この曲のおしまいのほうにホセ・フェリシアーノの演奏とヴォーカルが入り、ふたりのスペイン語の会話(なのかな)が入っている。
youtubeでふたりがスタジオで演奏するヴィデオクリップを見たが、追悼コメントも上がっていない。
ホセ・フェリシアーノのツイッターを見てみたら、「チェオ・フェリシアーノ」への弔意が。
別人だったのかー
てっきりこちらのフェリシアーノかと思ったよ。
今日の夕刊に訂正が載っていた。
「ミニーと出会ったら」というタイトルは、後々の展開を思わせる素敵なタイトルだ。
ミニー・リパートン生前中に発表された最後のアルバムである。
亡くなった後に発表されたアルバム"Love lives forever"に収録の"You take my breath away"には、ウディ・ハーマン、エセル・マーマンとともにスティーヴィー・ワンダーの名前が挙げられている。
スティーヴィーに対する敬意や思慕が込められているのだろうが、彼女の無念さが感じられるような気がしてならない。
先日の夕刊に載った訃報がふたつ。
ひとりはガブリエル・ガルシア・マルケス。
そしてもうひとりが、「ホセ・フェリシアーノ」。
盲目のサルサ歌手、とある。
え、サルサ歌手だったのか。
ホセ・フェリシアーノの演奏曲で思い出だすのは、言わずと知れた「ライト・マイ・ファイア」であるが、わたしにとって思い出深いのは、ミニー・リパートンのヴァージョンである。
ミニー・リパートンのアルバム「ミニーと出会ったら」に入っている。
この曲のおしまいのほうにホセ・フェリシアーノの演奏とヴォーカルが入り、ふたりのスペイン語の会話(なのかな)が入っている。
youtubeでふたりがスタジオで演奏するヴィデオクリップを見たが、追悼コメントも上がっていない。
ホセ・フェリシアーノのツイッターを見てみたら、「チェオ・フェリシアーノ」への弔意が。
別人だったのかー
てっきりこちらのフェリシアーノかと思ったよ。
今日の夕刊に訂正が載っていた。
「ミニーと出会ったら」というタイトルは、後々の展開を思わせる素敵なタイトルだ。
ミニー・リパートン生前中に発表された最後のアルバムである。
亡くなった後に発表されたアルバム"Love lives forever"に収録の"You take my breath away"には、ウディ・ハーマン、エセル・マーマンとともにスティーヴィー・ワンダーの名前が挙げられている。
スティーヴィーに対する敬意や思慕が込められているのだろうが、彼女の無念さが感じられるような気がしてならない。
そして舞台に一本の木
2014年4月19日 演劇
劇団東京乾電池本公演
別役実作、柄本明演出
「そして誰もいなくなった~ゴドーを待つ十人のインディアン~」
下北沢 本多劇場
日刊スポーツの記者コラムを見て知った公演。
別役作品ですと。
なんとなんと。
これは行かねば。
急遽チケットを手配。
演劇の本丸、本多劇場に初めて乗り込んだ。
なんか、王道っつう感じだ。
東京乾電池と言えば、個人的には「笑ってる場合ですよ!」に尽きる。
ニュースステーションの「金曜チェック」と並んで、小劇団的なものをわたしに知らしめてくれたものだ。
なんだ、小劇団的なものって。
1980年当時のわたしの小劇団観、それは、「生活費にゆとりがないにもかかわらず、人を笑わそうとしている奇特な人たち」という大変失礼なものだったことを思い出す。
上演作品は、タイトル通り、「ゴドーを待ちながら」+「そして誰もいなくなった」。
チラシによれば、そこにモンティ・パイソン的ななにかも加わるとのこと。
お茶会に集められた人々と召使夫婦。主催者のゴドーを待ちながら、なんやかやでひとりずつ死んでいく。
不条理劇を解っているとはまったく言えないが、不条理さが醸す可笑しさや哀しみがあるわけで、それをさらに喜劇として面白くしようとすると、喜劇としての面白さが勝ってしまうのかな、という気がした。
でもやっぱり、生身の役者さんのリズミカルな動きは魅力的だ。
綾田俊樹はすっかり好々爺だなあ。
柄本明が、「今日はたくさんお客さんが来てくれたが、日程の最初のほうはこんなではなかった」「でも、お客さんが少ないのは嫌いじゃない。出演者10人なら、お客さんが10人くらいだと、緊張感があって」「とはいえ、やっぱりお客さんはたくさん入る方がいい」と言っていた。
わたしのように、新聞なんかで公演を知った人が多いのだろう。
この作品は、本多劇場こけら落とし3公演のうちの一つだったとか。
中村伸郎の舞台をたくさん見ておきたかったなあ、と思う。
別役実作、柄本明演出
「そして誰もいなくなった~ゴドーを待つ十人のインディアン~」
下北沢 本多劇場
日刊スポーツの記者コラムを見て知った公演。
別役作品ですと。
なんとなんと。
これは行かねば。
急遽チケットを手配。
演劇の本丸、本多劇場に初めて乗り込んだ。
なんか、王道っつう感じだ。
東京乾電池と言えば、個人的には「笑ってる場合ですよ!」に尽きる。
ニュースステーションの「金曜チェック」と並んで、小劇団的なものをわたしに知らしめてくれたものだ。
なんだ、小劇団的なものって。
1980年当時のわたしの小劇団観、それは、「生活費にゆとりがないにもかかわらず、人を笑わそうとしている奇特な人たち」という大変失礼なものだったことを思い出す。
上演作品は、タイトル通り、「ゴドーを待ちながら」+「そして誰もいなくなった」。
チラシによれば、そこにモンティ・パイソン的ななにかも加わるとのこと。
お茶会に集められた人々と召使夫婦。主催者のゴドーを待ちながら、なんやかやでひとりずつ死んでいく。
不条理劇を解っているとはまったく言えないが、不条理さが醸す可笑しさや哀しみがあるわけで、それをさらに喜劇として面白くしようとすると、喜劇としての面白さが勝ってしまうのかな、という気がした。
でもやっぱり、生身の役者さんのリズミカルな動きは魅力的だ。
綾田俊樹はすっかり好々爺だなあ。
柄本明が、「今日はたくさんお客さんが来てくれたが、日程の最初のほうはこんなではなかった」「でも、お客さんが少ないのは嫌いじゃない。出演者10人なら、お客さんが10人くらいだと、緊張感があって」「とはいえ、やっぱりお客さんはたくさん入る方がいい」と言っていた。
わたしのように、新聞なんかで公演を知った人が多いのだろう。
この作品は、本多劇場こけら落とし3公演のうちの一つだったとか。
中村伸郎の舞台をたくさん見ておきたかったなあ、と思う。
俺とハンバーグとスフレ
2014年4月19日 日常
あたたかいランチがうれしいのだ
「俺のハンバーグ」でハンバーグをご馳走になりました。
他の席に運ばれたハンバーググラタンのにおいだけで、ご飯が食べられそうだ。
しばし待ち、俺にもハンバーグが。
お料理が違うと、付け合せも微妙に違うという細かさ。
あらびきハンバーグには細めのスパゲティがついていて、ソースにからめて食べると旨い。
相方さんオーダーのガーリックハンバーグは、たっぷりのにんにくソースにもやしが合う。
具沢山のぶた汁とごはんもついているのだ。
さらに野菜ジュースのサービス。
おいしかったねえ。
観劇の後、近くにあった星乃珈琲店へ。
スフレ館というだけあって、食べ物メニューはみなスフレ的なもの。
ドリアまでスフレだ。
スフレというものを初めていただきました。
家の近くにあればなあ。
おいしかったねえ。
ごちそうさまでした。
「俺のハンバーグ」でハンバーグをご馳走になりました。
他の席に運ばれたハンバーググラタンのにおいだけで、ご飯が食べられそうだ。
しばし待ち、俺にもハンバーグが。
お料理が違うと、付け合せも微妙に違うという細かさ。
あらびきハンバーグには細めのスパゲティがついていて、ソースにからめて食べると旨い。
相方さんオーダーのガーリックハンバーグは、たっぷりのにんにくソースにもやしが合う。
具沢山のぶた汁とごはんもついているのだ。
さらに野菜ジュースのサービス。
おいしかったねえ。
観劇の後、近くにあった星乃珈琲店へ。
スフレ館というだけあって、食べ物メニューはみなスフレ的なもの。
ドリアまでスフレだ。
スフレというものを初めていただきました。
家の近くにあればなあ。
おいしかったねえ。
ごちそうさまでした。