全世界的に取り違えたのだね

先日の夕刊に載った訃報がふたつ。
ひとりはガブリエル・ガルシア・マルケス。
そしてもうひとりが、「ホセ・フェリシアーノ」。

盲目のサルサ歌手、とある。
え、サルサ歌手だったのか。

ホセ・フェリシアーノの演奏曲で思い出だすのは、言わずと知れた「ライト・マイ・ファイア」であるが、わたしにとって思い出深いのは、ミニー・リパートンのヴァージョンである。
ミニー・リパートンのアルバム「ミニーと出会ったら」に入っている。
この曲のおしまいのほうにホセ・フェリシアーノの演奏とヴォーカルが入り、ふたりのスペイン語の会話(なのかな)が入っている。

youtubeでふたりがスタジオで演奏するヴィデオクリップを見たが、追悼コメントも上がっていない。

ホセ・フェリシアーノのツイッターを見てみたら、「チェオ・フェリシアーノ」への弔意が。

別人だったのかー
てっきりこちらのフェリシアーノかと思ったよ。

今日の夕刊に訂正が載っていた。

「ミニーと出会ったら」というタイトルは、後々の展開を思わせる素敵なタイトルだ。
ミニー・リパートン生前中に発表された最後のアルバムである。

亡くなった後に発表されたアルバム"Love lives forever"に収録の"You take my breath away"には、ウディ・ハーマン、エセル・マーマンとともにスティーヴィー・ワンダーの名前が挙げられている。
スティーヴィーに対する敬意や思慕が込められているのだろうが、彼女の無念さが感じられるような気がしてならない。
そして舞台に一本の木
劇団東京乾電池本公演 
別役実作、柄本明演出
「そして誰もいなくなった~ゴドーを待つ十人のインディアン~」
下北沢 本多劇場

日刊スポーツの記者コラムを見て知った公演。
別役作品ですと。
なんとなんと。
これは行かねば。
急遽チケットを手配。

演劇の本丸、本多劇場に初めて乗り込んだ。
なんか、王道っつう感じだ。

東京乾電池と言えば、個人的には「笑ってる場合ですよ!」に尽きる。
ニュースステーションの「金曜チェック」と並んで、小劇団的なものをわたしに知らしめてくれたものだ。

なんだ、小劇団的なものって。

1980年当時のわたしの小劇団観、それは、「生活費にゆとりがないにもかかわらず、人を笑わそうとしている奇特な人たち」という大変失礼なものだったことを思い出す。

上演作品は、タイトル通り、「ゴドーを待ちながら」+「そして誰もいなくなった」。
チラシによれば、そこにモンティ・パイソン的ななにかも加わるとのこと。

お茶会に集められた人々と召使夫婦。主催者のゴドーを待ちながら、なんやかやでひとりずつ死んでいく。

不条理劇を解っているとはまったく言えないが、不条理さが醸す可笑しさや哀しみがあるわけで、それをさらに喜劇として面白くしようとすると、喜劇としての面白さが勝ってしまうのかな、という気がした。

でもやっぱり、生身の役者さんのリズミカルな動きは魅力的だ。
綾田俊樹はすっかり好々爺だなあ。
柄本明が、「今日はたくさんお客さんが来てくれたが、日程の最初のほうはこんなではなかった」「でも、お客さんが少ないのは嫌いじゃない。出演者10人なら、お客さんが10人くらいだと、緊張感があって」「とはいえ、やっぱりお客さんはたくさん入る方がいい」と言っていた。
わたしのように、新聞なんかで公演を知った人が多いのだろう。

この作品は、本多劇場こけら落とし3公演のうちの一つだったとか。
中村伸郎の舞台をたくさん見ておきたかったなあ、と思う。
俺とハンバーグとスフレ
俺とハンバーグとスフレ
俺とハンバーグとスフレ
あたたかいランチがうれしいのだ


「俺のハンバーグ」でハンバーグをご馳走になりました。
他の席に運ばれたハンバーググラタンのにおいだけで、ご飯が食べられそうだ。
しばし待ち、俺にもハンバーグが。
お料理が違うと、付け合せも微妙に違うという細かさ。
あらびきハンバーグには細めのスパゲティがついていて、ソースにからめて食べると旨い。
相方さんオーダーのガーリックハンバーグは、たっぷりのにんにくソースにもやしが合う。
具沢山のぶた汁とごはんもついているのだ。
さらに野菜ジュースのサービス。
おいしかったねえ。

観劇の後、近くにあった星乃珈琲店へ。
スフレ館というだけあって、食べ物メニューはみなスフレ的なもの。
ドリアまでスフレだ。
スフレというものを初めていただきました。
家の近くにあればなあ。
おいしかったねえ。

ごちそうさまでした。