よい一年でありますように

12月29日
いきなり寝坊する。家人を歯科医院へ連れて行く。

12月30日
またもや寝坊する。調理→食事→後片付け、のループを展開。

12月31日
もはや早起きをあきらめる。
天気がよくなり、やっとお掃除。蛍光灯の笠を破損。
家人の入浴介助。

「ゲームセンターCX」(フジテレビONE)視聴。
最近見始めた。ファミコンは操作したことがあるが、ファミコン以外のゲーム機は触ったことがないわたしである。
あ、インベーダーゲームはやったことがあるな。
「ファミコン人間国宝ありの」面白かった。

「戦国鍋ライヴ」(tvk)視聴。
昨年(2011)も思ったのだが、「ミュージックトゥナイト」の楽曲制作陣に、レコード大賞の賞をなにか授賞すればいいのに。今年の新譜で大きく心踊らされた楽曲は、「討ちたいんだ」と「錦」(および「Endless錦」)であったよ。

「割れ目でポン」(フジテレビONE)視聴。
見てはいたが、麻雀のこともよく知らない。いまだに割れ目がなんなのか解らない。
麻雀と言えば刑事コロンボである。パトリック・マッグーハンである。

と言っているうちに年が明ける。
NHK紅白歌合戦を見なかったことに気付く。
初詣後、就寝。

1月1日
朝と言われる時間帯には起床。
専ら皿洗いと揚げ物に従事、合間に「爆笑ヒットパレード」(フジテレビ)視聴。
「2013新春!テレビが見つめたニッポンの正月60年」(NHK総合)を前のめりで視聴する。
この日の夕刻に、中村獅童が歌い踊るという歴史番組をやっていたが、鍋インスパイアか?
ブラックななみちゃんを見終わって就寝。
始祖はリンダだったのかもしれない。

ピンクレディーにうつつを抜かした小学校期を送ったわたしであるが、それより前に熱を上げたのは、天地真理だった。
なにしろ、真理ちゃんモデルの自転車が発売されるほどの人気ぶりだったのだ。自転車欲しかった。ちょっとパーマがかかってふわふわした髪型、かわいい洋服、そして絶やさぬ笑顔。
彼女の歌声は、とても耳に残るものだ。「恋する夏の日」「虹をわたって」などは、よく物真似をしたものだ。明るい雰囲気の歌だけではなく、「若葉のささやき」など、こどもには難しい歌詞ながらとても印象に残っている。

幼児の憧れる身近な大人といえば、当時はなんといっても幼稚園の先生だった。親より若く、ピアノが弾けてお歌が上手で。そんな先生が、結婚して退職でもしようものなら、いっせいにしょんぼりしたものだ。
テレビに出ている人だとはいえ、今考えれば、わたしにとって真理ちゃんは、素敵な幼稚園の先生の具現化だったのかもしれない。

今から10年くらい前に、天地真理がNHK「思い出のメロディー」に出演したのを見た。体型の変化は聞き及んでいたので驚かなかったが、歌唱力が変貌しているのに驚いた。というかうろたえた。かなりの部分を、女声コーラスに補われていたのである。あんまり声が出ていなかった。
真理ちゃんは国立音楽大学の付属高校の出身で、音楽の才能があったはずだ。確かに最近あんまり活動していないから、現役の歌手と比べるのは酷だが、なぜ…と、わたしが狼狽することもないのだが、テレビを見ながらおろおろした。
あまりにも長い期間、天地真理のことを考えたことがなかったのに、幼いころのアイドルだったことを思い出して、急にギャップが襲ってきたのだろうか。
そんなわたしの思惑にまったく関係なく、テレビの真理ちゃんは、ひらひらしたきれいなドレスをきて、にこにこしながら歌っていた。

番組ではこの後、榊原郁恵が登場し、「夏のお嬢さん」を歌った。このとき、コーナーの進行をしていた平尾昌晃の「郁恵ちゃんは本当に素晴らしいアイドルで」という言葉が忘れられない。榊原郁恵は当時もう40歳を超えていたかもしれないのだが、きちんとアイドルを体現していた。現役感が溢れていた。

しばらく、「真理ちゃんはなぜテレビに出たのだろう」と不思議に思っていた。アイドル時代の記憶を保つのであれば、せめて声が出るよう練習するべきだったのではないか。
自分も歳をとった今思うのは、彼女には、「〇〇だから出演する」という意図はまったくなかったのではないか、ということだ。出演を依頼され、とくに支障がなかったから出演したのだろう。歳をとれば体型や顔立ちが変貌するのは当たり前だし、活動の程度によっては歌唱力も落ちる。それを取り繕うとか誤魔化すなどという気持ちは、まったくなかったのだろう。
それが紆余曲折を経てたどり着いた境地であるならば、わたしが思い悩む必要はなにもないのである。

ドナルド・フェイゲンが「以前はレコードを売って生計を立てていたが、今はそれができず、コンサートの収益が主な収入源である」と発言している、と青山陽一がリツイートした小野島大のツイートで知る(ややこしい)。

大学生だったころ、レコード盤からCD盤への移行期が到来した。新譜はレコード・CD・カセットテープの三形態で出された。また、既発レコードのCD化も始まった。
CD化にあたっては、サイズがちいさくなってジャケットの趣をそぐとか、デジタルは色気がないとか、否定的な意見も多かった。わたしは寮生活をしていてレコードプレーヤーを持てなかったから、CDの手軽さがありがたかった。
そのころ初めて、渋谷のタワーレコードへ行ってみた。まだ確か、東急ハンズの近くのビルの二階にあったような気がする。わたしにも渋谷をうろうろしていた時代があったのだ。今となっては我ながら信じられない。

渋谷はいっとき、夢のようなところだった。規模も品ぞろえもさまざまなCDショップがたくさんあった。お目当てのCDを買ったあと、他の店舗へも必ず行った。雑誌で見たCDを試聴したり書籍を何冊も立ち読みしたり、何時間いても飽きない。本当に楽しい場所だった。
今となっては我ながら、迷惑なお客である。


何故最近、以前のようにCDを買わなくなってしまったのだろう。
旧作品の怒涛のリイシューがひと段落したせいか。
あのセロファンを剥がすのが、ついに面倒になったのか。
音楽自体に関心がなくなってしまったからか。
新しい音楽に、わたしがついていけなくなったからか。

高校生のころは、ほとんど毎日本屋さんに寄り道していた。
本が好きだったというより、本屋さんが好きだったのだな。
今はネットで本が買えるが、だからといって、それは本屋さんのかわりにはならない。

なんだか「ラジオスターの悲劇」みたいな話になってしまうな。


ドナルド・フェイゲンは昨年来日した。コンサートにとても行きたかったのだけど、他のことを優先させたので行かなかった。
行こうと思えば無理なことではなかったが、行かなかった。
何をおいても、という気持ちがなくなっているのだな。

ドナルド・フェイゲン、新作が昨年出ているのだった。聴かないと。
テレビ番組のPRスポットで、久々にザ・デストロイヤーを見た。

わたしは一度だけ、ザ・デストロイヤーを見たことがある。
そんなに大昔ではない、でもだいぶ前。10年くらい前のこと。
都心の住宅地でお蕎麦屋さんを探していると、ザ・デストロイヤーとその妻と思しき女性がマンションのような建物に向かって歩いていた。
ちょっと買い物してきた帰り、といった様子で、着ていたものもふつうの開襟シャツだった。

「プロレス見に行ってじゃなくて?よくザ・デストロイヤーだって判ったね。」
「だってマスク被っているじゃん。」

このあとわたしはいつも、予想外のリアクションに遭遇する。

「興業でもないのに、マスク被ってるわけがないじゃん。」

そんなことを言われようとは。

以下のようなことを言われるのなら、まだ解る。

「ほんとにザ・デストロイヤーだった?マスカラスだったんじゃないの?」

ミル・マスカラスではないなあ。だって、目や鼻の周りをパイピングしてあるいつものマスクだったし、マスクから出ている鼻の感じも、ザ・デストロイヤーだったねえ。一緒にいた女の人の年齢の感じや、本人の体型なんかも、マスカラスってふうじゃないなあ。おんなじ理由で、ドス・カラスでもないよきっと。

と、返す言葉は事欠かないのだが。

プロレスにはまったく詳しくないので、他のマスクマンを出されると、ちょっと困る。

誰に話しても、たいがい、それはおかしいと言われる。あんまり言われ続けるのでだんだん自信もなくなってきたが、それでもやっぱり、あれはザ・デストロイヤーだったのだと思う。

ここまできて、ふと思い立って例のウィキペディアを見てみた。すると、親日家のザ・デストロイヤーはたびたび来日し、町のお祭りに参加しているという。それはわたしがお蕎麦屋を探してさまよった、まさにその町であった。
また、同じくウィキペディアには、「マスクをしたまま自動車を運転しているところを目撃されている」という情報が。

家から一歩外に出たらマスクマン、それがザ・デストロイヤーであるとわたしは思いたい。

親しみをもって呼びかけるには凄い名前だ。ザ・デストロイヤー。
「頼れる男はゴムのゆるいパンツははかないんだ」
出典 『はなかっぱ』2013年2月5日放映より

日本語は難しい

2013年1月27日 日常
お母さんが不思議で仕方がないといった表情でその理由を訊ねると、
「ちえがひらかれたのよ、お母さん」
とかのこちゃんは自信満々の声で答えた。
(万城目学『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』2010年 ちくまプリマー新書)


50歳ちかくなっていきなり知恵が啓かれたか、最近気になることができた。
それは、「お」。
お菓子、お水、お風呂、お弁当、お茶、の「お」である。

omizuとmizuが同じwaterを示していると覚えなければならないとしたら、わたしならば途方にくれるぞ。

かと思えば、ご本、ご飯、てのもあるしなあ。
書籍のことは「本」とも言うが、米飯のことを「飯(はん)」とは言わない。
わたしは言わない。昔は言っていたのかもしれないが、現代はふつう、「飯(めし)」だよなあ。


あと、テレビを見ていて小耳にはさんだ表現。
「なんでもご相談していただけます。」
これは敬語なのだろうか。
「ご相談する」はわたしがあなたに相談するときの、あなたに対する敬語だろう。
この場合、「相談していただけます。」または「ご相談いただけます。」のほうが適切のような気がするのだが。
なんとなく。
でも、ちゃんと訓練を受けたと思われるアナウンサーかタレントさんが発言していたしなあ。

ここへきて俄然、日本語に(も)自信が持てなくなってきた。
老後が心配である。
それは一緒に定年退職を迎える(予定の)仲間たち


せんだって、職場のライフプランセミナーに参加した。

見事にずらりと、集めも集めた同学年の約50人。
出身校も採用年度も、職種も職歴も職階も、家族構成も異なるものの、等しく定年までのカウントダウンを刻みつづけるわたしたち。

セミナーの内容は、
「退職後いきなり寂しくならないよう、今から生きがいについて考えましょう」
「万一の時にかかるお金を逆算して、生命保険を選びましょう」
「心身の健康管理をしっかりやらないとあとが大変ですよ」
と、身につまされるものばかり。
講話中、いきなり指折り数えたり、筆算を始めたり、BMIを計算したり。

休憩時間の雑談時には、「むかしイケメンだった〇〇くんが、いまはあんなことに!?」と同級生トークで盛り上がるなか、友人二名から揃いも揃って、

「婚家の墓には入りたくない」

との心の叫びを聞くにおよび、もう戻れない年月の深さを思い知り、暗澹たる思いに閉ざされるわたくしであった。

そういうのって、ドラマの世界だけじゃないんだねえ。

さて、同い年といえば、「競馬予想TV」の見栄晴である。
司会者席のセンターに陣取り、実用本位の眼鏡(先日見たらちょっと細縁になってはいたが)を掛け、年下の予想陣をくん付けで呼ぶ見栄晴。
ずいぶん偉そうじゃないか見栄晴。「欽ちゃんのどこまでやるの!?」のパジャマ着てた子供(幼児)はあんたじゃないのか、と思ったら、そうではなかった。
成長後の学生時代の見栄晴が、現見栄晴らしい。
ややこしい。

ジャネット・ジャクソンも同い年だ。わたしは彼女と、誕生日が数日しか違わない。

見栄晴とジャネット。彼ら二人を目にするたび、同い年について思いを馳せるのであった。
最近あんまり、ジャネットは見ないなあ。

わたしの生まれた年は「ひのえうま」にあたり、いろいろあって日本では出生率がガタ減りした年なのだった。
次のひのえうまには、わたしたちは晴れて60歳になる。

蛇足だが、ジャネット・ジャクソンの全米ヒット曲で原題を"What have you done for me lately?"という曲があるのだが、これが邦題「恋するティーンエイジャー」であった。
この曲がヒットした年に、ジャネットは20歳になっている。
なにゆえの「ティーンエイジャー」。
プリンス、自曲"Kiss"のマルーン5によるカヴァーに辛口コメント(出典・1月30日放映「ビルボードTop40」(tvk)のコネタ)


ならばプリンス、ウォーレン・ジヴォンには何と発言したのかい?

かつて、ウォーレン・ジヴォンが紹介された雑誌の記事やアルバム評を読むたび、わたしには「不遇の人である」という刷り込みがされた。
音楽家筋には評価が高いが、セールスに恵まれない、というような。
それこそ、リンダ・ロンシュタットのカヴァーで知られる自作曲を地で行くような。

リンダ・ロンシュタット "Poor,poor,pitiful me"「私はついてない」1978

実際のところどうだったのかな、と思い始めたのは、投稿動画サイトで「レイトショウ」などでの、喋ったり歌ったりしている彼を見てからである。
もっと覇気のない人だと思い込んでいた。すまん。

そのウォーレン・ジヴォンがR.E.M.のメンバーと組んだHindu Love Godsが1990年にリリースした、かっこいいプリンスのカヴァーが"Raspberry beret"だ。本当にかっこいい。やる気の出ない朝に、テンションをあげるのに最適。

ウォーレン・ジヴォンは、何故かしらねどスティーヴ・ウインウッドの"Back in the high life"もカヴァーしている。これも味わい深いのだが、もしかして何かの皮肉なのかな、と勘繰ってしまう。

ロビン・ヒッチコックがカヴァーしたリップス・インクの"Funky town"も、唐突というか、両極端は一致する、というのはこういうことなのかな、と思う。ロビン・ヒッチコックは、近々新譜が出るらしい。

グレン・ティルブルックはライヴでいろいろなカヴァー曲を披露するが、なかでもわたしが好きなのは、トム・ショーンズの"It’s unusual"だ。原曲のいかにも男性らしい歌声と違い、少年っぽいグレンの声がなんともかわいく聞こえる。はやくまた、来日公演が見たいな、と思う。

最後に「レイトショウ」に出演した時、ウォーレン・ジヴォンは"Enjoy every sandwich"という言葉をのこしている。そして、その日収録後の控室で、番組でいつも使用していたギターを司会者のデヴィッド・レターマンに贈ったというエピソードを読むたび、いつも涙が出る。