読んだ本について記録する 5
2013年3月9日 読書単行本に挿絵が載らないのが、昔から不思議だ。もったいない。
一回も読まないまま終わることも少なくない、新聞連載小説。
初めて意識的に読んだのは、たぶん有吉佐和子の『複合汚染』だ。
小林信彦『極東セレナーデ』、井上ひさし『偽原始人』も新聞で読んだ。
最近だと、挿絵が気になって、乙川優三郎『麗しき花実』と長嶋有『ねたあとに』を読んだ。
『麗しき花実』の挿絵画家、中一弥氏は連載当時98歳である。
『ねたあとに』は、朝日新聞社まで高野文子の原画展を見に行った。
だからと言って、上にあげた小説家が好きというわけではない。
新聞ででも読まない限り、日常、小説を読んだりしないのだ。
それほど読書好きではない。
だからこそ、『文学賞メッタ斬り!』に影響されやすい。
本を読まないといられない、という部類ではない。
ただ、面白い本を思いがけなく読むと、得したな、と思う。
伊坂幸太郎 『ガソリン生活』 朝日新聞出版 2013
これは連載当時から好きで、単行本化を楽しみにしていた小説。
舞台は仙台、語り手は登場人物である望月一家の愛車、緑のマツダデミオ。通称「緑デミ」(車たちのあいだでは)。
主な聞き役は、隣家の校長先生の乗る古いトヨタカローラ。先生の愛聴するミュージシャンにちなんで「ザッパ」と(車たちのあいだで)呼ばれている。
彼らや、行きかう車たちや駐車場で出会った車たちとのおしゃべりから、望月家の面々が遭遇するある事件とその関係者が語られる。
緑デミがかわいい。彼(一人称は「僕」)の、車という立場からの語り口にいつの間にか共感する。
わたしはうちの車にどう思われていますかな。
「うちのこがらしさん、最近運転が荒くて」なんて、職場の駐車場で毎朝嘆かれていたりして。
車の前面がちょっと人の顔のようなデザインなのは、運転する人の心情への働きかけのため、あえてそうしているのだと聞いたことがある。
そう思ってみてみれば、つんとした顔や愛嬌のある顔など、さまざま。
車どうしで、本当に挨拶を交わしているかのようだ。
連載を読んでいる頃、知人が交通事故にあい、車両をだめにしてしまった。
その車の悲痛な気持ちを思い、わたしまで悲しくなってしまった。
人間の登場人物も魅力的に描かれている。子供らしくない小学生、ある悩みを抱えた高校生の姉、のんびりした大学生の兄、子供への信頼とユーモアを持つ母。
「それとなく楽しめ、少し笑える」小説を目指した、と連載終了後作者は記している。
今日一日いろいろなことがあって、気落ちしたり腹立たしい思いで帰宅したあと、食卓で読む夕刊にこんな小説が載っていて、その続きが気になると、明日が来るのが少し嫌でなくなるのだ。
一回も読まないまま終わることも少なくない、新聞連載小説。
初めて意識的に読んだのは、たぶん有吉佐和子の『複合汚染』だ。
小林信彦『極東セレナーデ』、井上ひさし『偽原始人』も新聞で読んだ。
最近だと、挿絵が気になって、乙川優三郎『麗しき花実』と長嶋有『ねたあとに』を読んだ。
『麗しき花実』の挿絵画家、中一弥氏は連載当時98歳である。
『ねたあとに』は、朝日新聞社まで高野文子の原画展を見に行った。
だからと言って、上にあげた小説家が好きというわけではない。
新聞ででも読まない限り、日常、小説を読んだりしないのだ。
それほど読書好きではない。
だからこそ、『文学賞メッタ斬り!』に影響されやすい。
本を読まないといられない、という部類ではない。
ただ、面白い本を思いがけなく読むと、得したな、と思う。
伊坂幸太郎 『ガソリン生活』 朝日新聞出版 2013
これは連載当時から好きで、単行本化を楽しみにしていた小説。
舞台は仙台、語り手は登場人物である望月一家の愛車、緑のマツダデミオ。通称「緑デミ」(車たちのあいだでは)。
主な聞き役は、隣家の校長先生の乗る古いトヨタカローラ。先生の愛聴するミュージシャンにちなんで「ザッパ」と(車たちのあいだで)呼ばれている。
彼らや、行きかう車たちや駐車場で出会った車たちとのおしゃべりから、望月家の面々が遭遇するある事件とその関係者が語られる。
緑デミがかわいい。彼(一人称は「僕」)の、車という立場からの語り口にいつの間にか共感する。
わたしはうちの車にどう思われていますかな。
「うちのこがらしさん、最近運転が荒くて」なんて、職場の駐車場で毎朝嘆かれていたりして。
車の前面がちょっと人の顔のようなデザインなのは、運転する人の心情への働きかけのため、あえてそうしているのだと聞いたことがある。
そう思ってみてみれば、つんとした顔や愛嬌のある顔など、さまざま。
車どうしで、本当に挨拶を交わしているかのようだ。
連載を読んでいる頃、知人が交通事故にあい、車両をだめにしてしまった。
その車の悲痛な気持ちを思い、わたしまで悲しくなってしまった。
人間の登場人物も魅力的に描かれている。子供らしくない小学生、ある悩みを抱えた高校生の姉、のんびりした大学生の兄、子供への信頼とユーモアを持つ母。
「それとなく楽しめ、少し笑える」小説を目指した、と連載終了後作者は記している。
今日一日いろいろなことがあって、気落ちしたり腹立たしい思いで帰宅したあと、食卓で読む夕刊にこんな小説が載っていて、その続きが気になると、明日が来るのが少し嫌でなくなるのだ。