ひたすらテレビを見る日曜日
2013年3月3日 TV洗濯物を干す&取り込む以外に、家から出ていない。まずい。
今日気になったこと その1
新聞のテレビ欄 WOWOWプライム
18:20 新番組 テルマエ・ロマエ
3:10 テルマエ・ロマエ(終)
一日で最終回か。
今日気になったこと その2
「ウチくる?」(フジテレビ)を見ていたら、武井壮という人がゲストで出ていた。
武井壮がこれまで何をしてきたか、よく解った。
武井壮がいま何をしている人か、まったく解らなかった。
この番組は、新作映画や新番組などのプロモーションを目的に出演するのが通常だと思うのだが、何かをプロモーションしている様子も感じられず。
単に本当の意味での人気者なのか?
今、しょこたんがガラパゴスを訪ねたドキュメンタリーを見ているが、本人がナレーションをしていることに、途中まで気付かなかった。
ナレーションうまいなあ。
今日気になったこと その1
新聞のテレビ欄 WOWOWプライム
18:20 新番組 テルマエ・ロマエ
3:10 テルマエ・ロマエ(終)
一日で最終回か。
今日気になったこと その2
「ウチくる?」(フジテレビ)を見ていたら、武井壮という人がゲストで出ていた。
武井壮がこれまで何をしてきたか、よく解った。
武井壮がいま何をしている人か、まったく解らなかった。
この番組は、新作映画や新番組などのプロモーションを目的に出演するのが通常だと思うのだが、何かをプロモーションしている様子も感じられず。
単に本当の意味での人気者なのか?
今、しょこたんがガラパゴスを訪ねたドキュメンタリーを見ているが、本人がナレーションをしていることに、途中まで気付かなかった。
ナレーションうまいなあ。
「あしながおじさん」読み比べ
2013年3月3日 読書あれを読むと、昔のアメリカの女子大生のガリ勉ぶりと読書熱がよくわかるよ。なにしろ、主人公はベンヴェヌート・チェリーニの自伝まで読んでるんだから。
(出典 『ハサミ男』 殊能将之 講談社ノベルス 1999)
ジーン・ウェブスター著 松本惠子訳 『あしながおじさん』 新潮文庫
昭和33年十刷と平成21年百刷を読み比べた。
読み比べた、と言っても基本的に文章は同じである。
十刷は何故か自宅に昔からあったものだ。来歴は不明。たぶん家族のものではなく、うちに来た親戚の忘れものではないかと。
繰り返し(「とげとげ」「さらさら」など)に「くの字点」が使われていたり、「インキが三合」や「二斗ほどもの詩」という訳文に長年親しんできた。
いまでも十刷を読んでいるのだが、ふと思い立って、最近の版を買ってみた。
当然ながら訳注が増えており、「消防車の馬」には当時は消防自動車がなかったとの注がついている。また、主人公が、少女時代に読まなかったのは自分だけ、とこっそり買う本も、十刷は「「小婦人」(若草物語)」で「リトル・ウイメン」と振りがなが振られているが、百刷は「若草物語」で、続いてオルコット著のあたたかい家庭を描いた小説との訳注が増えている。
「あしながおじさん」を読むような人は、「若草物語」も読んだものだがなあ。
あと、「小公子」や「小公女」、「秘密の花園」など。
最近の児童文学全集って、どんなラインナップなんだろう。
「リトルプリンセス」とか言うのかなあ。
例のベンヴェヌート・チェリーニも、十刷にはない説明が百刷にはついている。百刷は漢字に細かくふりがながついているし、作者直筆の挿絵についている説明は、十刷では英文訳文併記だが、百刷は訳文のみだ。
あと、百刷は活字が大きい。読み易い。
十刷には、小説が書かれた時代とともに、訳された時代が反映されているような気がする。それが古い書籍の良さのひとつなのかもしれない。
「あしながおじさん」は、若い主人公が学生生活を通じて自己を培っていくさまを描いている。著者自身の宗教観や社会観が反映されている部分もある。
子供の頃これを読んで、大学に行ってみたいなとわたしは思ったんだ。
そういえば、北村薫の小説で、登場人物が「あしながおじさん」を通じて会話を交わす場面があった。
戦前の富裕層のお嬢様たち。女学校在学中にしかるべき相手との婚約が整ってしまう時代に、彼女たちはこれを読んでどう思ったのかな。
十刷の見どころは本文以外にもあって、それは巻末の書誌一覧である。
本文は新字体になっているが、こちらはバリバリの旧字体。「昼」が「書」の下に「一」のほうである。はじめはさっぱり読めなくて、暗号解読のごとしだった。
また、レニエ「燃え上がる青春」から始まって、仏文、米・英文、独文、露文、国文と、驚きの充実ぶり。岩波文庫かと思った。
ブールジェとかモーリヤックとか、恥ずかしながら知らない。読んでいない。
まだ入っているのかしら、新潮文庫。
(出典 『ハサミ男』 殊能将之 講談社ノベルス 1999)
ジーン・ウェブスター著 松本惠子訳 『あしながおじさん』 新潮文庫
昭和33年十刷と平成21年百刷を読み比べた。
読み比べた、と言っても基本的に文章は同じである。
十刷は何故か自宅に昔からあったものだ。来歴は不明。たぶん家族のものではなく、うちに来た親戚の忘れものではないかと。
繰り返し(「とげとげ」「さらさら」など)に「くの字点」が使われていたり、「インキが三合」や「二斗ほどもの詩」という訳文に長年親しんできた。
いまでも十刷を読んでいるのだが、ふと思い立って、最近の版を買ってみた。
当然ながら訳注が増えており、「消防車の馬」には当時は消防自動車がなかったとの注がついている。また、主人公が、少女時代に読まなかったのは自分だけ、とこっそり買う本も、十刷は「「小婦人」(若草物語)」で「リトル・ウイメン」と振りがなが振られているが、百刷は「若草物語」で、続いてオルコット著のあたたかい家庭を描いた小説との訳注が増えている。
「あしながおじさん」を読むような人は、「若草物語」も読んだものだがなあ。
あと、「小公子」や「小公女」、「秘密の花園」など。
最近の児童文学全集って、どんなラインナップなんだろう。
「リトルプリンセス」とか言うのかなあ。
例のベンヴェヌート・チェリーニも、十刷にはない説明が百刷にはついている。百刷は漢字に細かくふりがながついているし、作者直筆の挿絵についている説明は、十刷では英文訳文併記だが、百刷は訳文のみだ。
あと、百刷は活字が大きい。読み易い。
十刷には、小説が書かれた時代とともに、訳された時代が反映されているような気がする。それが古い書籍の良さのひとつなのかもしれない。
「あしながおじさん」は、若い主人公が学生生活を通じて自己を培っていくさまを描いている。著者自身の宗教観や社会観が反映されている部分もある。
子供の頃これを読んで、大学に行ってみたいなとわたしは思ったんだ。
そういえば、北村薫の小説で、登場人物が「あしながおじさん」を通じて会話を交わす場面があった。
戦前の富裕層のお嬢様たち。女学校在学中にしかるべき相手との婚約が整ってしまう時代に、彼女たちはこれを読んでどう思ったのかな。
十刷の見どころは本文以外にもあって、それは巻末の書誌一覧である。
本文は新字体になっているが、こちらはバリバリの旧字体。「昼」が「書」の下に「一」のほうである。はじめはさっぱり読めなくて、暗号解読のごとしだった。
また、レニエ「燃え上がる青春」から始まって、仏文、米・英文、独文、露文、国文と、驚きの充実ぶり。岩波文庫かと思った。
ブールジェとかモーリヤックとか、恥ずかしながら知らない。読んでいない。
まだ入っているのかしら、新潮文庫。
読んだ本について記録する 5
2013年3月9日 読書単行本に挿絵が載らないのが、昔から不思議だ。もったいない。
一回も読まないまま終わることも少なくない、新聞連載小説。
初めて意識的に読んだのは、たぶん有吉佐和子の『複合汚染』だ。
小林信彦『極東セレナーデ』、井上ひさし『偽原始人』も新聞で読んだ。
最近だと、挿絵が気になって、乙川優三郎『麗しき花実』と長嶋有『ねたあとに』を読んだ。
『麗しき花実』の挿絵画家、中一弥氏は連載当時98歳である。
『ねたあとに』は、朝日新聞社まで高野文子の原画展を見に行った。
だからと言って、上にあげた小説家が好きというわけではない。
新聞ででも読まない限り、日常、小説を読んだりしないのだ。
それほど読書好きではない。
だからこそ、『文学賞メッタ斬り!』に影響されやすい。
本を読まないといられない、という部類ではない。
ただ、面白い本を思いがけなく読むと、得したな、と思う。
伊坂幸太郎 『ガソリン生活』 朝日新聞出版 2013
これは連載当時から好きで、単行本化を楽しみにしていた小説。
舞台は仙台、語り手は登場人物である望月一家の愛車、緑のマツダデミオ。通称「緑デミ」(車たちのあいだでは)。
主な聞き役は、隣家の校長先生の乗る古いトヨタカローラ。先生の愛聴するミュージシャンにちなんで「ザッパ」と(車たちのあいだで)呼ばれている。
彼らや、行きかう車たちや駐車場で出会った車たちとのおしゃべりから、望月家の面々が遭遇するある事件とその関係者が語られる。
緑デミがかわいい。彼(一人称は「僕」)の、車という立場からの語り口にいつの間にか共感する。
わたしはうちの車にどう思われていますかな。
「うちのこがらしさん、最近運転が荒くて」なんて、職場の駐車場で毎朝嘆かれていたりして。
車の前面がちょっと人の顔のようなデザインなのは、運転する人の心情への働きかけのため、あえてそうしているのだと聞いたことがある。
そう思ってみてみれば、つんとした顔や愛嬌のある顔など、さまざま。
車どうしで、本当に挨拶を交わしているかのようだ。
連載を読んでいる頃、知人が交通事故にあい、車両をだめにしてしまった。
その車の悲痛な気持ちを思い、わたしまで悲しくなってしまった。
人間の登場人物も魅力的に描かれている。子供らしくない小学生、ある悩みを抱えた高校生の姉、のんびりした大学生の兄、子供への信頼とユーモアを持つ母。
「それとなく楽しめ、少し笑える」小説を目指した、と連載終了後作者は記している。
今日一日いろいろなことがあって、気落ちしたり腹立たしい思いで帰宅したあと、食卓で読む夕刊にこんな小説が載っていて、その続きが気になると、明日が来るのが少し嫌でなくなるのだ。
一回も読まないまま終わることも少なくない、新聞連載小説。
初めて意識的に読んだのは、たぶん有吉佐和子の『複合汚染』だ。
小林信彦『極東セレナーデ』、井上ひさし『偽原始人』も新聞で読んだ。
最近だと、挿絵が気になって、乙川優三郎『麗しき花実』と長嶋有『ねたあとに』を読んだ。
『麗しき花実』の挿絵画家、中一弥氏は連載当時98歳である。
『ねたあとに』は、朝日新聞社まで高野文子の原画展を見に行った。
だからと言って、上にあげた小説家が好きというわけではない。
新聞ででも読まない限り、日常、小説を読んだりしないのだ。
それほど読書好きではない。
だからこそ、『文学賞メッタ斬り!』に影響されやすい。
本を読まないといられない、という部類ではない。
ただ、面白い本を思いがけなく読むと、得したな、と思う。
伊坂幸太郎 『ガソリン生活』 朝日新聞出版 2013
これは連載当時から好きで、単行本化を楽しみにしていた小説。
舞台は仙台、語り手は登場人物である望月一家の愛車、緑のマツダデミオ。通称「緑デミ」(車たちのあいだでは)。
主な聞き役は、隣家の校長先生の乗る古いトヨタカローラ。先生の愛聴するミュージシャンにちなんで「ザッパ」と(車たちのあいだで)呼ばれている。
彼らや、行きかう車たちや駐車場で出会った車たちとのおしゃべりから、望月家の面々が遭遇するある事件とその関係者が語られる。
緑デミがかわいい。彼(一人称は「僕」)の、車という立場からの語り口にいつの間にか共感する。
わたしはうちの車にどう思われていますかな。
「うちのこがらしさん、最近運転が荒くて」なんて、職場の駐車場で毎朝嘆かれていたりして。
車の前面がちょっと人の顔のようなデザインなのは、運転する人の心情への働きかけのため、あえてそうしているのだと聞いたことがある。
そう思ってみてみれば、つんとした顔や愛嬌のある顔など、さまざま。
車どうしで、本当に挨拶を交わしているかのようだ。
連載を読んでいる頃、知人が交通事故にあい、車両をだめにしてしまった。
その車の悲痛な気持ちを思い、わたしまで悲しくなってしまった。
人間の登場人物も魅力的に描かれている。子供らしくない小学生、ある悩みを抱えた高校生の姉、のんびりした大学生の兄、子供への信頼とユーモアを持つ母。
「それとなく楽しめ、少し笑える」小説を目指した、と連載終了後作者は記している。
今日一日いろいろなことがあって、気落ちしたり腹立たしい思いで帰宅したあと、食卓で読む夕刊にこんな小説が載っていて、その続きが気になると、明日が来るのが少し嫌でなくなるのだ。
意外と見られているものだ。自戒自戒。
身体の不自由な家族を連れて、スーパーへ。
優先駐車場が空いていたので車を入れようとしたところ、反対側から来た営業車に入られてしまった。
そちらは、運転者ひとり。
こちらは介助者がいるから、お譲りしましょう。
とりあえず家族を降ろすため、その営業車の隣に車を置き、あわてて車椅子など出していると、営業車の運転手さん、車を降りてすたすたと店内へ。
内部障害かな。お仕事ご苦労様です。休日なのにたいへんだなあ。
目に見えない障害って、誤解されやすいからなあ。
ところが、かのお方の車両を見てびっくり。
『医療法人社団〇〇会 送迎受付センター 無料送迎車』
身体の不自由な患者さんを、診療まで送迎する車両だったのだ。
フリーダイヤルの番号も、でっかく車体に書かれている。
しかし、と、気を取り直す。
もしかして、患者さんとここで待ち合わせているのかな?
田舎とはいえ、ゆっくり移乗できるスペースのある住宅ばかりではないからなあ。
この近所は、共同住宅も多いしな。
自分の車をいそいそと動かし、スーパーの入り口まで来てみたら、ちょうど、くだんの運転手のおっさん(もはやおっさん呼ばわり)、買い物袋をぶら下げて店から出てきて、車に乗り込み、単身ぶぅーんと去って行った。
いずことも知れず、去って行った。
ほかの誰も乗せずに、去って行った。
勇者である。
果敢である。
潜在的なユーザーを尻目に、優先駐車場へ乗り込む勇気を称えよう。
行きかう人の目にどう映ろうと、営業車で乗り込む勇気を称えよう。
あんな送迎、あるといいなと思っていたのにな。
身体の不自由な家族を連れて、スーパーへ。
優先駐車場が空いていたので車を入れようとしたところ、反対側から来た営業車に入られてしまった。
そちらは、運転者ひとり。
こちらは介助者がいるから、お譲りしましょう。
とりあえず家族を降ろすため、その営業車の隣に車を置き、あわてて車椅子など出していると、営業車の運転手さん、車を降りてすたすたと店内へ。
内部障害かな。お仕事ご苦労様です。休日なのにたいへんだなあ。
目に見えない障害って、誤解されやすいからなあ。
ところが、かのお方の車両を見てびっくり。
『医療法人社団〇〇会 送迎受付センター 無料送迎車』
身体の不自由な患者さんを、診療まで送迎する車両だったのだ。
フリーダイヤルの番号も、でっかく車体に書かれている。
しかし、と、気を取り直す。
もしかして、患者さんとここで待ち合わせているのかな?
田舎とはいえ、ゆっくり移乗できるスペースのある住宅ばかりではないからなあ。
この近所は、共同住宅も多いしな。
自分の車をいそいそと動かし、スーパーの入り口まで来てみたら、ちょうど、くだんの運転手のおっさん(もはやおっさん呼ばわり)、買い物袋をぶら下げて店から出てきて、車に乗り込み、単身ぶぅーんと去って行った。
いずことも知れず、去って行った。
ほかの誰も乗せずに、去って行った。
勇者である。
果敢である。
潜在的なユーザーを尻目に、優先駐車場へ乗り込む勇気を称えよう。
行きかう人の目にどう映ろうと、営業車で乗り込む勇気を称えよう。
あんな送迎、あるといいなと思っていたのにな。
この一週間をふりかえる
2013年3月16日 日常
忙しいような、そうでないような
3月11日(月)
木曜日までの夕飯が店屋物と決まる。
3月12日(火)
帰宅後、早く寝ればよいのに「ベストヒットUSA」(BS朝日)視聴。
ヴァン・ヘイレンのデイヴ・リー・ロスのインタビューを見た。
屋内なのに黒サングラス。日本の日差しはまぶしいかデイヴ。
この日は、「はい、あいむりっちー、ふろむぼんじょび」ってやつも流れたのだが。
ヴァン・ヘイレンとボン・ジョヴィ。
どちらも名字である。奇しくも。
エディ&アレックス兄弟の名字であるヴァン・ヘイレンと、ボーカルのジョンの名字をとったボン・ジョヴィ。
自分の所属が他人の名字って、どんな気持ちだ。
日本で言えば、ザ・スズキか?と思ったが、あれはやっぱり兄弟で「鈴木家」って意味だしな、とつらつら考え、結果、いちばん近いのは、
栗コーダーカルテット
と結論づけてやっと寝る。
3月13日(水)
店屋物を完食する気力が潰える。
3月14日(木)
自作マカロンをいただく。うまうま。
帰宅後、早く寝ればよいのに「ゲームセンターCX」(フジテレビONE)視聴。
スペースハンターの回、見るのは3回目だ。
早く寝なさい。
3月15日(金)
ディナーをごちそうになる。
グリンピースのスープ、チキンガーリックソテー、茄子グラタン、オムライスなど、うまうま。
ごちそうさまでした。
ことしのアカデミー賞授賞式、ウイリアム・シャトナーが出たそうだ。
「宇宙大作戦」のカーク船長だ。
「スタートレック」なんて言わないのだ。
提供はサンヨー薔薇チェーンなのだ。
3月11日(月)
木曜日までの夕飯が店屋物と決まる。
3月12日(火)
帰宅後、早く寝ればよいのに「ベストヒットUSA」(BS朝日)視聴。
ヴァン・ヘイレンのデイヴ・リー・ロスのインタビューを見た。
屋内なのに黒サングラス。日本の日差しはまぶしいかデイヴ。
この日は、「はい、あいむりっちー、ふろむぼんじょび」ってやつも流れたのだが。
ヴァン・ヘイレンとボン・ジョヴィ。
どちらも名字である。奇しくも。
エディ&アレックス兄弟の名字であるヴァン・ヘイレンと、ボーカルのジョンの名字をとったボン・ジョヴィ。
自分の所属が他人の名字って、どんな気持ちだ。
日本で言えば、ザ・スズキか?と思ったが、あれはやっぱり兄弟で「鈴木家」って意味だしな、とつらつら考え、結果、いちばん近いのは、
栗コーダーカルテット
と結論づけてやっと寝る。
3月13日(水)
店屋物を完食する気力が潰える。
3月14日(木)
自作マカロンをいただく。うまうま。
帰宅後、早く寝ればよいのに「ゲームセンターCX」(フジテレビONE)視聴。
スペースハンターの回、見るのは3回目だ。
早く寝なさい。
3月15日(金)
ディナーをごちそうになる。
グリンピースのスープ、チキンガーリックソテー、茄子グラタン、オムライスなど、うまうま。
ごちそうさまでした。
ことしのアカデミー賞授賞式、ウイリアム・シャトナーが出たそうだ。
「宇宙大作戦」のカーク船長だ。
「スタートレック」なんて言わないのだ。
提供はサンヨー薔薇チェーンなのだ。
ちょっと前にあったできごとを記録する
2013年3月20日 趣味あったかくなってきました
何をやってもうまくいかない日、というのがある。
「あしながおじさん」の中で、寝坊から始まってろくなことがなかった日の、不意うちの筆記試験のくだりがある。
試験は、黒板に書かれた詩について説明をせよ、というもの。
その詩というのが、十刷ではこう。
「われは何をも求めず/何をも拒まざりき
わが生存を代金として支払えば/偉大なる商人はほほえみぬ。
ブラジル?商人はわが方も見やらず/ボタンをくるくる廻しつつ
マダムよ今日は何ぞほかに/ごらんに入るるもの候わずや?」
百刷はこうだ。
「私は何もほしがらず/何もことわりませんでした
代金として私の生存を支払うと/偉大なる商人はほほえみました
ブラジル?商人は私の方を見もせず/ボタンをくるくる回しながら
奥様今日は何かほかに/お目にかけるものはございませぬか」
なんだか解ったような解らないような。
しいて言えば、十刷のほうが詩らしい気がする、というくらい、詩というものが解らないわたしである。
この詩は作者の創作なのだと思っていたが、そうではなかった。
ネットで検索すると、いろいろな人が話題にしていた。
アメリカの詩人エミリー・ディキンソンの作品だそうである。
学生の頃、ディキンソンをモデルにした一人芝居「アマーストの美女」を見た。(上演期間 1987年10月20日~25日、PARCO SPACE PART 3)
お芝居が好きだったのではなく、ディキンソンのファンだったわけでもなく、たまたまである。
出演は岸田今日子。
岸田今日子は好きな女優だ。
当時すでにベテランで、テレビではいつも淡々としている印象だったが、間近で見ると、一人芝居ということもあってたいへんな熱演だった。
岸田今日子の出演ドラマで忘れがたいのが、「秘密の花園」だ。
これは日曜日の昼下がりに唐突に放映された単発ドラマで、母(岸田)と姉妹(小林聡美と京野ことみ)に姉の不倫相手(塚本晋也)が登場するお茶の間コメディ。
エンディングに何故か、小林聡美がドレス姿で「ろくでなし」を歌っていた(確か)。
塚本晋也の益体なさ加減が素晴らしくて、もっとテレビに出てほしいと思ったのだ。
岸田今日子が亡くなったとき、本当に惜しいと思った。
ディキンソンは、死後に作品が世に出た人である。生涯単身で、ひっそりと暮らしたが、情熱的な詩をたくさん残しているそうだ。その生涯については、最近になってからも新聞で研究結果が報じられていた。
観劇も読書も、特別わたしの趣味ではない。
仕事が忙しいと新聞を読む時間もないまま一日が終わってしまい、時間があればなあ、と思ったりする。
が、そのわりに仕事がひと段落しても、とくに何もしないまま終わってしまったりする。
意識的に情報を得ないとだめですな。「ぴあ」とか読まないと。
ないのか、「ぴあ」
何をやってもうまくいかない日、というのがある。
「あしながおじさん」の中で、寝坊から始まってろくなことがなかった日の、不意うちの筆記試験のくだりがある。
試験は、黒板に書かれた詩について説明をせよ、というもの。
その詩というのが、十刷ではこう。
「われは何をも求めず/何をも拒まざりき
わが生存を代金として支払えば/偉大なる商人はほほえみぬ。
ブラジル?商人はわが方も見やらず/ボタンをくるくる廻しつつ
マダムよ今日は何ぞほかに/ごらんに入るるもの候わずや?」
百刷はこうだ。
「私は何もほしがらず/何もことわりませんでした
代金として私の生存を支払うと/偉大なる商人はほほえみました
ブラジル?商人は私の方を見もせず/ボタンをくるくる回しながら
奥様今日は何かほかに/お目にかけるものはございませぬか」
なんだか解ったような解らないような。
しいて言えば、十刷のほうが詩らしい気がする、というくらい、詩というものが解らないわたしである。
この詩は作者の創作なのだと思っていたが、そうではなかった。
ネットで検索すると、いろいろな人が話題にしていた。
アメリカの詩人エミリー・ディキンソンの作品だそうである。
学生の頃、ディキンソンをモデルにした一人芝居「アマーストの美女」を見た。(上演期間 1987年10月20日~25日、PARCO SPACE PART 3)
お芝居が好きだったのではなく、ディキンソンのファンだったわけでもなく、たまたまである。
出演は岸田今日子。
岸田今日子は好きな女優だ。
当時すでにベテランで、テレビではいつも淡々としている印象だったが、間近で見ると、一人芝居ということもあってたいへんな熱演だった。
岸田今日子の出演ドラマで忘れがたいのが、「秘密の花園」だ。
これは日曜日の昼下がりに唐突に放映された単発ドラマで、母(岸田)と姉妹(小林聡美と京野ことみ)に姉の不倫相手(塚本晋也)が登場するお茶の間コメディ。
エンディングに何故か、小林聡美がドレス姿で「ろくでなし」を歌っていた(確か)。
塚本晋也の益体なさ加減が素晴らしくて、もっとテレビに出てほしいと思ったのだ。
岸田今日子が亡くなったとき、本当に惜しいと思った。
ディキンソンは、死後に作品が世に出た人である。生涯単身で、ひっそりと暮らしたが、情熱的な詩をたくさん残しているそうだ。その生涯については、最近になってからも新聞で研究結果が報じられていた。
観劇も読書も、特別わたしの趣味ではない。
仕事が忙しいと新聞を読む時間もないまま一日が終わってしまい、時間があればなあ、と思ったりする。
が、そのわりに仕事がひと段落しても、とくに何もしないまま終わってしまったりする。
意識的に情報を得ないとだめですな。「ぴあ」とか読まないと。
ないのか、「ぴあ」
シネパトスへ行きたかった
2013年3月27日 映画わがままは言うまい
銀座の映画館、シネパトスが3月末で閉館するそうだ。
銀座から歌舞伎座のほうへてくてく歩いていくと、おもむろに地下街がある。
なんか、変わった構造だ。駅の地下とかビルの地下とか、なにかのオマケ的にではなくて、地下街だけがそこにある(ように見える)。
街といっても、いたってこじんまりしている。
道路の下、いくつかの店舗と並んでシネパトスがある。
シネパトスへは、二回しか行ったことがない。
見たのは、「カポーティ」と「太陽」。
「カポーティ」は、『冷血』取材時のトルーマン・カポーティを描いた物語だ。
話が話だけに、あまり後味はよくない。
主演のフィリップ・シーモア・ホフマンは、この作品でオスカーを獲得した。
カポーティのある種の「いやな感じ」や「繊細な感じ」をうまく醸していたと思う。
「太陽」は、終戦前後の昭和天皇を描いているが、外国映画だ。
主演はイッセー尾形。
地下の一室での御前会議で、阿南陸相役の六平直政だったか、汗をだらだらとかきながら発言していたのが印象に残っている。
御前会議を描いている作品はほかにもいくつかあるのだろうが、わたしが見たといえる映画は、「日本のいちばん長い日」だけだ。
東宝創立35周年記念の作品で、たくさんの俳優(ほとんど男性)が出演した。
御前会議の様子をその場にいるつもりで見ていると、暑くて息苦しくて、気が遠くなる思いがする。
唯一と言っていい出演女優が、新珠三千代だ。
「細うで繁盛記」だ。
「銭の花はあこうどす」だ。
冨士眞奈美がいびり役で、変わった方言だなあ、と思っていたが、だいぶあとになって自分が住んでいる近隣の設定だと知った。
驚いた。
まあたしかに、あんな感じの喋り方だ。
シネパトスと細うで繁盛期、別に関係ないな。関係あるのかな。
結局シネパトスにはもう行けそうもない。
森下くるみにチケットをもぎってほしかった。
残念だ。
銀座の映画館、シネパトスが3月末で閉館するそうだ。
銀座から歌舞伎座のほうへてくてく歩いていくと、おもむろに地下街がある。
なんか、変わった構造だ。駅の地下とかビルの地下とか、なにかのオマケ的にではなくて、地下街だけがそこにある(ように見える)。
街といっても、いたってこじんまりしている。
道路の下、いくつかの店舗と並んでシネパトスがある。
シネパトスへは、二回しか行ったことがない。
見たのは、「カポーティ」と「太陽」。
「カポーティ」は、『冷血』取材時のトルーマン・カポーティを描いた物語だ。
話が話だけに、あまり後味はよくない。
主演のフィリップ・シーモア・ホフマンは、この作品でオスカーを獲得した。
カポーティのある種の「いやな感じ」や「繊細な感じ」をうまく醸していたと思う。
「太陽」は、終戦前後の昭和天皇を描いているが、外国映画だ。
主演はイッセー尾形。
地下の一室での御前会議で、阿南陸相役の六平直政だったか、汗をだらだらとかきながら発言していたのが印象に残っている。
御前会議を描いている作品はほかにもいくつかあるのだろうが、わたしが見たといえる映画は、「日本のいちばん長い日」だけだ。
東宝創立35周年記念の作品で、たくさんの俳優(ほとんど男性)が出演した。
御前会議の様子をその場にいるつもりで見ていると、暑くて息苦しくて、気が遠くなる思いがする。
唯一と言っていい出演女優が、新珠三千代だ。
「細うで繁盛記」だ。
「銭の花はあこうどす」だ。
冨士眞奈美がいびり役で、変わった方言だなあ、と思っていたが、だいぶあとになって自分が住んでいる近隣の設定だと知った。
驚いた。
まあたしかに、あんな感じの喋り方だ。
シネパトスと細うで繁盛期、別に関係ないな。関係あるのかな。
結局シネパトスにはもう行けそうもない。
森下くるみにチケットをもぎってほしかった。
残念だ。
最近食べたものを記録する
2013年3月31日 グルメ今はテレビがラジオのような
起きている間は殆どラジオを聴いていた時代があった。
AMラジオでは、芸能人がDJの、15分くらいの帯番組を畳み掛けるように放送していた。現在も基本的編成は同じなのかもしれない。
松田聖子を初めて知ったのも、テレビではなくてラジオだった。
毎週欠かさず見ていた「ザ・ベストテン」で、それまで出演を拒んでいた甲斐バンドがNHKFMから中継で出演したことがあった。
なんか、甲斐よしひろが酔っ払っていたような覚えがある。
出演拒否って、流行っていたんだな。「短時間では思いが伝わらない」とかなんとか、ミュージシャンシップみたいなもののせいで。
あれはなんだったんだろう。
くだんの番組「サウンドストリート」をはじめて聴いたのは、ちょうど改変期だった。
月曜日を担当していた松任谷正隆の最終回、「来週の月曜日、一度だけNHKFMに来る、そのとき、聴取者から届いた手紙を貰って帰る」などと言い、未練たっぷり(のように聴こえた)。
ちなみに当時、松任谷正隆が何をしている人なのか、わたしは知らなった。
その翌週、度肝を抜かれた。
佐野元春の一回目。
この人はなにか運動しながら喋っているのか、と思った。
一回目はたしか、スタジオライヴだったんだ。
それにしても独特の語り口調。歌っているようとも言えるが、落ち着きないとも言える。
いきなり"I wanna be with you tonight"とか口走るし。
そりゃびっくりするわ、中学生。
喋り方が誰かに似ていると思ったら、オールナイトニッポンで、中島みゆきの次の第二部を担当していた、糸居五郎に似ていた。
「サウンドストリート」はよく聴いていた。甲斐よしひろの後水曜日を担当した烏丸せつこがビジネスの「痛いマイハート」を気に入ってよくかけていたり、チャクラを初めて聴いたりした。下積み感の薄いあたらしいバンドが、たくさん出てきた。
いま考えれば、ニューウェイヴの頃だったんだな。
兄がアンテナを立てたので、初めて民間FMを自宅で聴けるようになった。
ラジオCMが鮮明な音声で流れて、とてもびっくりした。
「山下達郎サンデーソングブック」をたまに聴くと、そのときのことをなぜか思い出す。
中学時代後半、ビルボードチャートというものの存在を知り、ラジオ関東(ラジオ日本)の「全米トップ40」を毎週聴き始める。
と同時に、ラジオ関東の番組で、アニメーションの声優の番組など聴いて、よけいな知識をつけ始める。
しかしラジオ関東は、その後人気番組をどんどん放送終了させてしまい、なぜこんなことをするのかな、ととても不思議だった。
大学生になってもラジオを聴いていたけれど、一番熱心に聴いていたのは「ニッポン放送ショーアップナイター」だった。
今はラジオを殆ど聴かない。
起きている間は殆どラジオを聴いていた時代があった。
AMラジオでは、芸能人がDJの、15分くらいの帯番組を畳み掛けるように放送していた。現在も基本的編成は同じなのかもしれない。
松田聖子を初めて知ったのも、テレビではなくてラジオだった。
毎週欠かさず見ていた「ザ・ベストテン」で、それまで出演を拒んでいた甲斐バンドがNHKFMから中継で出演したことがあった。
なんか、甲斐よしひろが酔っ払っていたような覚えがある。
出演拒否って、流行っていたんだな。「短時間では思いが伝わらない」とかなんとか、ミュージシャンシップみたいなもののせいで。
あれはなんだったんだろう。
くだんの番組「サウンドストリート」をはじめて聴いたのは、ちょうど改変期だった。
月曜日を担当していた松任谷正隆の最終回、「来週の月曜日、一度だけNHKFMに来る、そのとき、聴取者から届いた手紙を貰って帰る」などと言い、未練たっぷり(のように聴こえた)。
ちなみに当時、松任谷正隆が何をしている人なのか、わたしは知らなった。
その翌週、度肝を抜かれた。
佐野元春の一回目。
この人はなにか運動しながら喋っているのか、と思った。
一回目はたしか、スタジオライヴだったんだ。
それにしても独特の語り口調。歌っているようとも言えるが、落ち着きないとも言える。
いきなり"I wanna be with you tonight"とか口走るし。
そりゃびっくりするわ、中学生。
喋り方が誰かに似ていると思ったら、オールナイトニッポンで、中島みゆきの次の第二部を担当していた、糸居五郎に似ていた。
「サウンドストリート」はよく聴いていた。甲斐よしひろの後水曜日を担当した烏丸せつこがビジネスの「痛いマイハート」を気に入ってよくかけていたり、チャクラを初めて聴いたりした。下積み感の薄いあたらしいバンドが、たくさん出てきた。
いま考えれば、ニューウェイヴの頃だったんだな。
兄がアンテナを立てたので、初めて民間FMを自宅で聴けるようになった。
ラジオCMが鮮明な音声で流れて、とてもびっくりした。
「山下達郎サンデーソングブック」をたまに聴くと、そのときのことをなぜか思い出す。
中学時代後半、ビルボードチャートというものの存在を知り、ラジオ関東(ラジオ日本)の「全米トップ40」を毎週聴き始める。
と同時に、ラジオ関東の番組で、アニメーションの声優の番組など聴いて、よけいな知識をつけ始める。
しかしラジオ関東は、その後人気番組をどんどん放送終了させてしまい、なぜこんなことをするのかな、ととても不思議だった。
大学生になってもラジオを聴いていたけれど、一番熱心に聴いていたのは「ニッポン放送ショーアップナイター」だった。
今はラジオを殆ど聴かない。