『追悼 殊能将之さん/法月綸太郎、大森望』 メフィスト2013vol.1 講談社

だいたい、亡くなったとたんに「〇〇さん」って、なんだよ。

ウォーレン・ジヴォンが亡くなったとき、職場の近所のCDショップが「追悼ウォーレン・ジヴォンさん ご冥福をお祈りします」って貼りだしていて、びっくりした。
抜け目ないっつうか。
ジヴォン、亡くなったこと以外に、他に売りがないみたいではないか。

だいたい、亡くなったとたん、「ありがとうございました」って、なんだよ。

そんなにすぐ、過去の人にしたいのかい?

法月綸太郎は、やっぱり信じられなくて、「嘘の追悼文」だとしている。
喪失感が伝わる。

大森望は、殊能センセーとなる以前からの、センセーを振り返っている。

殊能センセーは、博覧強記の人だ。本当に、いろんなことを知っているなあ、と思う。
引用なんて難しくてよく解らない。
けれど、小説を読んだ後、なんともいえない充足感がある。

センセーの日記も、いろいろなことに言及していて、現代音楽についての記述など、わたしにはよく解らないことが多い。
でも、それは知識のひけらかしなどではない。
真矢みき様への真摯な姿勢、お茶の間目線でのテレビ番組の感想や家事の記録は、短いけれど、センセーの小説を読んだときと同じくらいの充足感がある。


ひょっこりどこかから出てきてくれないかな、センセー。
何て名前でもいいですから。

ラジオで大森望が殊能将之逝去について語ったのを、ネットのアーカイヴで聴いたが、いちばん印象に残ったのは、大森氏が婦人物トップス(いいやつ、Lサイズ)を着ている、ということだった。
著者近影がなんとなくおばさんぽいのは、そのせいだったのか。

センセー、すまない。

先日カラオケへ連れて行って貰い、"Scissor man"はやっぱり入っていなかったので、代わりと言ってはなんだが、"That’s really super,supergirl"を歌ってきた。

センセー、すんません。